旅読書・・・武蔵(花村萬月)

GWは8泊9日の長い旅。
お供には長い小説が欲しいところ。

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そんな訳で今回携えたのは花村萬月の武蔵、全6巻。
Kindleのお陰で嵩張ることもなく、より荷物が身軽になって嬉しい。

さて、1巻を読み終えた時点では全く物語に入り込めず、むしろ、いかにも花村萬月的類型に陥ったマンネリズムを感じてしまったのだが、2巻目で陪堂(ほいと)坊主の道林坊が登場してから俄然面白くなった。

道林坊が武蔵に説く「鼠の穴に手が入る」、この言葉が2巻以降最後までテーマのようにつきまとう。

何巻目だか覚えてないけど、彦山の山中で大麻でラリりながらやりまくっている時に、武蔵は突然「鼠の穴」とは永遠に対する希求と悟り、希求とは祈りであり、鼠の穴に手が入らない自分は神仏を恃まないと決意。
この後は一直線に猛烈な孤独へ向かって突き進んでいく。
激しい喪失と共に剣術を極めゆくプロセスは、それ以前に多くの獲得があったからこそ成り立つと言える。
つまり、前半は何かを獲得していく物語、後半は何かを喪失していく物語として読むことも可能だ。
失うことから学ぶことは少なくないし、そもそも得なければ失えないわけで、なんとも切ない。

武蔵と言えば、巌流島における佐々木小次郎との決闘だが、そしてこの小説でもクライマックスにこのシーンが用意されていたが、これが唖然とするほど呆気なく、一撃で勝負が決する。
しかし、一振りを繰り出すまでの刹那に、武蔵が永遠を見ている描写が続く。
これって、鼠の穴に手が入ったってことなのだろうか?

いずれにせよ、この一瞬に永遠を見るクライマックスを際立たせる為に、1巻から続くここまでの長い物語が全て布石であったような印象だ。
布石が長かった故に、刹那とのコントラストに畏れ入るのである。

「私の庭」に代表される時代小説は面白いのだが、「信長私記」「太閤私記」「弾正星」などの歴史小説をあまり楽しめなかったこともあり、恐らく花村萬月は実在の歴史的人物を扱わない小説の方が面白いのではないかとこの武蔵も猜疑心を抱きつつ読み始めたのだが、かなり良かった。とは言え「私の庭」の感動には及ぶべくもないが。
あと、吉川三国志の次に読んだこともあるだろうけど、6巻あるような長さを感じなかった。つまり楽しんで読めたのだろう。

花村萬月氏は現在白血病闘病中と聞く。
我が最愛の小説(のひとつ)「百万遍」も完結していないし、病気に克って氏の新作小説をこの先も楽しめることを、一読者としては願うばかりだ。