成都放浪記~大熊猫、金沙遺址博物館、チベット人街(4/30)

脆弱なホテルのwifiのせいか、或いは当局の監視の故か、ブログに写真のアップロードがままならず、大変な手間と労力、そして時間を要するのである。

やむを得ずかなり端折ってアップした前日の記事の薄さはいかんともしがたく、ならば薄い記事を上げるまでよと開き直る。
ブログごときにそこまで真剣に向き合っていられるか、という心境である。
ヤフー・ブログが間もなくサービスを終了するのだという。
この機会に私もブログを終了し、解放されるのも選択肢の1つだと思いながら、とりあえずは習慣をなぞろう。

私は大熊猫よりは普通猫、つまりパンダよりもネコが好きなのだが、折角パンダの本場、四川に来ているのだからと成都パンダ繁育研究基地を訪れた。
パンダ好きは万国共通のようで、いや、それどころか中国人にとっても愛すべき動物なようで、地下鉄熊猫大道駅から研究基地行のシャトルバス乗場はざっと数えたところ100人以上が行列を形成していた。
ラーメン二郎もびっくりである。

そして肝心の大熊猫繁育研究基地内部は広大な敷地にも関わらず原宿竹下通り並の大混雑、ましてやパンダ様の前は乗車率300%の通勤列車のようで、パンダを見ること自体が一苦労、ましてや写真を撮る為には相当の覚悟が必用なのであった。

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食べパンダ。

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子供パンダ。

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寝パンダ。

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脱糞パンダ。

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レッサーパンダ

やはり間近で見るパンダとは可愛いものではある。
そしてダメパンダと渾名されていた弊社の大先輩K氏にどこかしら似ている気がする。
余談だが、私はダメパンダ先輩から仕事に関しては何一つ学んでいない(反面教師としては学んだのかもしれないが)。
しかし、業務遂行能力は時として人としての可愛さに敵わないのだと、パンダを通してダメパンダ先輩から何やら学んだような気がした。

お土産屋も芋洗い状態で軽く見ただけで退散、再びバスに乗り込み地下鉄駅へ、そして地下鉄を乗り継ぎ金沙遺址博物館に到着。

こちらは三国志よりも更に遥か昔の紀元前の殷周時代の遺跡と出土品を展示している。
2001年に住宅工事をしていた際に偶然発見されたという。

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黄金のマスク。

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太陽神鳥。

この二つがこの遺跡のシンボル的な貴重な出土品。のみならず、太陽神鳥は成都市のシンボルでもあるそうだ。
確かに3000年も前に作られた金製品が、こんな完全な形で21世紀に出土するというのも、ロマンがある。

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遺構も体育館のような巨大な屋根がかけられ、そのまま保存されていた。

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黄金のマスク出土場所。

さて、前日武侯祠に行った際、何故だかラマ僧の姿をチラホラ見かけたので気になってホテルで調べてみるとビンゴ!武侯祠の南エリアにはチベット人街があることが判明した。
数年前にネパールのボダナートというチベット仏教の聖地を訪れてから興味が湧き、成都行きを決めた理由の1つも東チベットに近いから(しかし現在は政府から外国人立ち入り禁止エリアに指定され行くと公安に捕まる)というもので、これは是非とも行っておきたいところ。

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おおっ!
リアル・チベット
通り一本挟んだだけで街の雰囲気はガラリと変わる。

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店の看板にもチベット文字が。
とりあえずここに入ってみよう。

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ダライ・ラマも英語を話すし、チベット人なら英語が通じるかもしれないという淡い期待は甘かった。
こちら身振り手振りで頼んだヤクの肉のモモ。
ネパールで学んだのは、モモとはチベット式の餃子である、ってことなのだが、成都チベットレストランのモモはチベット式の井村屋の肉まんだった。
こんなの5つも食えないよ!
更に野性味溢れるヤクの肉、3個目の半分でギブアップ。
お会計の時にガタイの良い兄ちゃんと、可愛い女の子がそろって満面の笑顔で、手を振って別れた。
ガイドブックにも載っていないチベット人街、そした奥まった場所の二階にある辺鄙なレストラン、日本人が相当に珍しいことは想像に難くない。

いつの日か東チベットに行けるのだろうか?