成都放浪記~武侯祠博物館、錦里、下痢(4/29)

予想された渋滞が無いどころか、むしろいつもより道が空いており3時間も前に成田空港に到着。
しかもWebチェックインを前夜済ませてボーディングパスは携帯に、バックパック1つで預ける荷物はなく、顔認証で出国審査も楽々。
時間を持て余した私は出発までビールを飲み続けたのだが、これがいけなかった。

機内食のお供に飲んだビールが更に状況を悪化させ、ホテルにチェックイン後に飲んだ2本の日本のビールが致命的となった。

ゲイリー・ムーアである。
ゲイリー・バーデンである。
ゲイリー・オールドマンである。
つまり、下痢である。

こういうこともあろうかと、薬は潤沢に持っている。
薬に頼り、物理的な努力をもって限界まで絞りだし、それから私は地下鉄に乗った。
駅員は誰も英語を話せず、私は一言も中国語を話せず、交通系ICカードを買うために実に20糞も、いや、20分も要した。

目指す先は武侯祠博物館。
かの劉備玄徳の墓所のある、三国志のある意味聖地だ。
私は三国志好きが高じて成都行きを決めたのではなく、成都行きが決まったので慌てて三国志を読み始めた俄似非ファンだが、それでも蜀の劉備関羽張飛、そして孔明をずーっと応援しながら読んでいた、蜀のファンなのである。
矢鱈とテンションがあがる。

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ほら、テンション上がるでしょ?

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こちら入口。

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そして劉備殿の中央に鎮座するは劉備像。

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向かって左には張飛。なんでこんなに顔が黒ずんでいるんだ?

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さらに向かって右には関羽
桃園の誓いで義兄弟となった三人が主役である。

劉備殿を出るとその奥にあるは、孔明殿。

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キタ━(゚∀゚)━!
諸葛孔明、その人であります。
やはり本国においても孔明の人気は別格のようで、像の前の人だかりも一番多かった。

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奥に進むとこんな門。

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門の奥の小高い丘が、劉備玄徳の墓所である。
蜀漢の帝の墓にしては随分と小ぢんまりした印象だ。

三世紀。日本なら邪馬台国とか卑弥呼の時代にこんな一大スペクタクルがある中国の奥深さに感じ入るものがある。
アメリカがコロンブスに発見されて世界史に現れるのはこの1200年後だもんね。

その後は武侯祠に隣接する錦里という古い町並みを再建した倉敷美観地区的なハリボテを歩く。
沢山歩いたのに不思議なことにビールを飲みたい気持ちにならない。
理由はすぐに判明した。
突き上げるような便意を催してきたのである。

錦里のバス停からパンダ繁育研究基地へと向かうつもりだったのだが予定変更、地下鉄に飛び乗ってホテルに戻る。

爆発の予兆を時に脂汗を流し、時に震えながら耐えて押さえ込み、首の皮一枚、本当にギリギリのところで私は人間の尊厳を保つことが出来たのであった。

その後の予定は大幅な変更を余儀なくされた。

街を散策して初日終了。