旅読書~佐藤正午祭

その小説は成田空港第一ターミナルのシーンから始まった。

その時の私の心境を村上春樹風に表現すれば、「やれやれ、またか。と僕は思った。」といったところか?

何故ならばその時、私は成田空港第一ターミナルからヤンゴン行きの全日空機に搭乗し、バックパックを頭上の荷物入れに収納し、小さなバッグひとつ持って着席し、シートベルトを締め、正に本を開いたところだったのだ。
現実と虚構の奇妙な符合。時折起こる、本に呼ばれた、本に選ばれた読書体験というヤツだ。

或いはあなたはそんなの只の偶然だと言うかもしれない。
そう言われてしまったら、その通りと認めるほかない。
しかし、私はこの旅行で読もうと4冊の未読の文庫本を積ん読の山から荷物に詰めたのだ。この時点でこの本を真っ先に読む確率は25%だ。

羽田空港ではなく成田空港、第二ターミナルではなく第一ターミナル、搭乗口の番号とフライトの行先は異なっていたけれど、もしそんなところまで符合していたら怖くなって読まないよ。

私が「本に呼ばれた」「本に選ばれた」という体験を初めてした、というか自覚したのは恐らく絲山秋子の2冊の小説だが、物語冒頭の不思議な一致ということに関しては我が読書人生最大の衝撃作、白石一文「僕のなかの壊れていない部分」以来となる。
急遽決まった大阪出張のお供にと有楽町の三省堂書店で買い求めたその本を、発車を待つ新大阪行きののぞみ号の中で読み始めたのだが、その物語は京都に向かう新幹線の車中から始まっていたのだった。
私の小説観を根底から覆すような破壊力を持ったこの作品は今でも生涯ベストと言えるものだし、ラーメン二郎三田本店に行く度にラストシーン(それは慶応大学のシーンだ)がフラッシュ・バックしてしまうという呪縛からいまだに逃れることが出来ないでいる。

結果的に今回ヤンゴン行きの飛行機で読み始めた佐藤正午の「5」は、とても面白かった。
面白い、という形容がイマイチしっくりこない奇妙な読書体験だったけど、まぁ面白いとしか言いようがない。
昨年のジョージア旅行の際に読んだ「鳩の撃退法」の主人公であった津田伸一という作家が本作の主人公であったこともまた良い流れとなった。
登場人物にイライラさせられることはいつものこと、しかしラストの東京駅のシーンでは不覚にもグッときて、もう一度読み返したい気もするがその本はマンダレーのホテルに置いてきた。

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今回の旅読書のテーマは、佐藤正午祭。

その後「ジャンプ」をバガンで読了、「身の上話」をヤンゴンで読了し、それぞれの町に私の旅の思い出といっしょに置いてきた。

作中登場人物にイライラさせられるという共通点を除けば、三作とも作風も内容もバラバラであった。凄いね。

優劣というより好き嫌いでは、正に読んだ順番通り5>ジャンプ>身の上話、となる。

手持ちの佐藤正午の本はこれで全て読了、次の旅に備えてまた積ん読の山に加えておこうかな。

私の旅は今年も続くのだ。