ミャンマー放浪記7日目~ヤンゴン観光(1/3)

マンダレーバガンと回ってからヤンゴンに戻ってくると、とても退屈な街に見えてしまう。

そこそこ都会だけど公共交通機関はバスぐらいなもので、ブラブラ歩いて観光するというのは厳しそう。

そういう時はジャパン・マネーで解決!
私はフロントのスタッフにタクシーのチャーターをお願いした。

10時から15時の5時間で65000チャット。5000円弱である。
外国人観光客レートという割増感アリアリの提示だけど、細かいことは気にしないのがジャパン・マネーのおおらかさだ。
契約成立!

さて、ミャンマー、いや、この場合ビルマだな。
昭和生まれの私にとってのビルマとは、大東亜戦争ビルマの竪琴である。

真っ先に私がドライバーにお願いしたのは、日本人墓地へのお参り。

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この墓標が、ビルマの竪琴の水島のモデルになった方の墓だ。

更に奥に行くと、日本政府名義で建立された平和記念モニュメントがあった。
私が手を合わせていると、ビルマ人女性二人組が記帳のためのノートと、線香の販売に近付いてきた。
勿論記帳させていただきましたよ。
しかし、私はどの墓標に線香をたむけれぼ良いのだろうか?
難しすぎて無理、線香はお断りして、二人の女性に僅ながら心付けをお渡しして立ち去ることに。

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お次の目的地はカバーエー・パゴダ。
英語表記は「world peace pagoda」とある。
world peace is none of your businessとモリッシーは歌ったが、ここで祈る多くの人達を見ていると、この言葉を奴等に叩きつけたモリッシーの気持ちが分かるような気がします。
気がするだけです。

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ヤンゴン市民の憩いの場、インヤー湖。
朽果てた観覧車の右に見える屋根は、なんと湖に向かって放つゴルフの打ちっぱなしだ。なんとおぞましい。
しかしミャンマーにおけるゴルフとは、日本のそれとは異なるのだろう、多分。
いずれにせよ、私は関わりませんけどね。

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で、遂に来ましたヤンゴンのシンボル、シュエダゴォン・パゴダ。

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想像以上にデカい!のだが、生憎とリペア工事の真っ最中でパゴダは竹と布に覆われ、本体を見ることは叶わなかった。

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これは仏陀の足跡なのだとか。

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パゴダを取り囲むように、多くの祭壇がある。

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ヤンゴン中央駅。

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名もなき、いや、ビルマ語でしか書かれていないから店名が分からなかったローカル・レストラン。
一人の男の子店員が「日本人ですか?」と日本語で問い掛けてきた。そうだと答えると握手を求められ、「日本語を勉強しています」とこれまた日本語で。
ヤンゴンでは結構日本人見掛けるのだけど、ローカル・レストランでは珍しいのだろうか。
暫く彼の練習相手を勤める。
「どれぐらい日本語勉強してるの?」と問うと、
「3ヶ月です。」
3ヶ月?たったの3ヶ月でそんなに話せるの?
彼は語学の才能がありそう。もしくは若い脳の柔軟性?

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カチン、フィッシュ、カレー。
カチン風フィッシュカレーだと思ってオーダーした料理は、カチン風のスパシーな魚料理だった。

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dark side of the fish

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なんてったってこちらは漁師、美味しい魚を食べ慣れているだけに魚料理には厳しいのだが、これは香草とスパイスがピリッと効いた最高の一品にして逸品であった。料理が出てくるまで相当に時間がかかったので、注文を受けてから魚を揚げたのだろう。冷たい料理ばかりのミャンマーではめずらしく出来立てホヤホヤなのも良い。いやー、まさかこの俺様がこんな奇妙な形の淡水魚に参るとは。
ビールが進んでこの有り様。
ミャンマーでは少数民族の料理が最も旨い。

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ナイトマーケット。
面白いお土産を物色しに行ったのだが、食べ物の屋台がメイン。規模も小さめ。掘り出し物は見つからず。

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パゴダもあります。

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完全にアウトなヤツ。

ビールを買ってホテルに引き揚げた。
翌朝はスーパー早起き君なので、さっさと寝なくては。