ミャンマー放浪記6日目~バガン、遅延、ヤンゴン再上陸(1/2)

元日は日の出から日の入りまでバガン観光三昧。
強迫観念的にこれ以上無理して観光を続ける必要などなく、今日は存分に寝て、ゆっくり朝食をとって、午前中は木陰で本読みながらのんびりすることにして、正午にヒラオさん2号に来てもらい午後半日観光、という作戦。

チェックアウトを済ませ、バックパックとトレッキングシューズをフロントに預け、ソファに座って待っていると、正午丁度に愛馬を操りヒラオさん2号がやって来た。
本当に不思議だ。

前日、サンライズツアーの待ち合わせの5時半、一旦ホテルに戻って朝食済ませた後の再集合の8時半、ランチと休憩を取ってサンセット見に行く16時、そして今日、四半世紀に及ぶ社畜生活のせいで身に付いた性癖、私はいずれも遅くとも5分前には待ち合わせ場所で待機するという哀しき性をここミャンマーでも遵守したのだが、ヒラオさん2号は必ず時間ぴったりにやって来るのだった。恐ろしいまでの正確さである。
そして彼の腕を見ると、時計などはめていないのである。日時計?腹時計?体内時計?
いずれにせよ、プロの仕事ですな。

いつまでもヒラオさん2号と心のなかで呼び続けるのも変なので、後れ馳せながら本名を聞いたが、聞き取れないし発音できないしそもそも長い。
「ニックネームのウチェって呼んでくれ。これなら簡単だろ?」
確かに3文字ならば相対的には簡単だが、覚えるとなると話は別なのであった。
私は頭の中で内村光良とニッチェがトリオを結成したイメージを描き、脳に刻んだ。ウッチェ!
ついでに馬の名前も聞く。
「ミンニョだ!」
性別と年齢も尋ねると8歳のメス、人間なら20代半ばだそうだ。
これも簡単な名前なれど覚えるとなると難しそうだったので、私は彼女に「明女」という漢字の表記を便宜的に与えることにした。
そう、彼女は明るい女の子なのだ。

2日目のツアーの訪問地は、いずれも舗装路から奥に入ったところにある静かな遺跡で、観光客の数も段違いに少ない所ばかり。そう、こういう所に来たかった。

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本日最初に訪れたパヤーが、私が最も心奪われたバガンの遺跡となった。
塔頂は地震で崩れて再建中なのは残念だったけど、中は圧巻だった。

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メインの仏陀には白人男性が張り付き、金箔を貼っているところだった。
や、これはオマケ、凄いのは壁画の規模と技巧だ。

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結論から言えば、今日廻ったパゴダ群は、壁画が充実したところがとても多かった。
古くて小さなパゴダに描かれた壁画は、撮影禁止のものも多かった。

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15時に半日ツアーは終了。
私は18時のフライトにつきまだ若干時間に余裕があったので、ビールが飲める場所で降ろしてくれとリクエスト。

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こちらがヒラオさん2号ことウチェと愛馬ミンニョ。
本当に2日間お世話になりました。

ビールを飲み終えたら砂塵の中をテクテク20分程歩いてホテルへ。
結果的に前日闇両替所まで歩いたことによりオールド・バガンにおけるホテルの位置を相対化出来たのでこんな真似が出来たのだ。災い転じてってヤツですね。

ホテルに預けた荷物をピックアップし、タクシーを呼んでもらっていよいよバガンともお別れ。

2日前に私がチケットを予約した旅行代理店からメールがあり、この日私が乗る飛行機の便名と出発時間が変更(15分早まった)されたのであった。
自力で取らず代理店に任せて本当に良かった。
自力で取っていたらそんな情報は入手出来ず、となると空港で相当に慌てる状況である。
うん、慣れてきたけどこういうところも実にミャンマーっぽいね。

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空港係員に促され搭乗口へ。
なんとなく大昔の鮫洲試験場を思わせる光景だ。
しかしいくら経っても搭乗は始まらず、なんのアナウンスもなく、辺りには掲示板の類いもない。
職員捕まえて尋ねると、遅れている、と一言。

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ようやくボーディングのアナウンスがあり、搭乗口からは歩いてプロペラ機へ。
折り返しの便の到着が遅れた為の遅延で、結局は変更前の元のフライト時刻より更に遅れて出発した。

ヤンゴンまでは約1時間のフライト。
ホテルの迎えの車に乗り込み40分弱のドライブ。
バガンから来た身には、ヤンゴンはやたらと都会に見える。

部屋に荷物を置き、近くのコンビニでビールとピスタチオと栓抜きを買い求め、部屋に戻って冷蔵庫に入れたら、さて夕食だ!

フロントに降り、係りの女の子にこの辺に良いレストランはない?と尋ねるとキョトン(・_・)としている。
私の英語が通じなかったのだろうか?と訝しく思っていたら、彼女は近くの男性職員を呼び協議が始まった。
更に二人が加わり協議は更に白熱、おいおいおい、君たちこの辺のレストラン知らないの?
ようやく意見がまとまり、最初の女の子が指でフロントをなぞるように見えない地図を描きながら(そんなんでわかるか!)近くのレストランを教えてくれた。
「×××という中華料理です。」と彼女は言う。中華料理?
私は彼女に「いや、中華じゃなくてどちらかと言えばローカル料理がいいんだけど」と答えたことで、従業員達はカオスに陥った。
電話をする者、観光客用の地図を指差しながら議論する者、考え込む者、一体どうなってるんだ?
「ねぇ、誰も近所のローカル・レストラン知らないの?」
と尋ねると、若い男が逆ギレ気味に「ちょっと待ってくれ!」という始末。質問した私は独り蚊帳の外だ。
何なんだ?一体何なんだ?
宿泊客がホテルの従業員に近所の美味しい地元料理のレストランを尋ねることが、そんなに難しいことなのか?

1人の提案に皆がそうだ!そうだ!的にのっかり、ようやく最も若そうな男が地図を私に見せて1ヶ所をボールペンで印をつけながら「ここに一軒あります!」と興奮気味に教えてくれた。
「まず始めに」と私は尋ねた。「この地図上で今我々は何処にいるのかな?」
すると彼は地図上で迷子になり混乱、あちこち道をなぞるようにして「あ、ここ!」と指し示したのは件のレストランから何ブロックも離れていた。
「歩いてどれぐらい?」と訊くと、「30分ぐらい」続けざまに「タクシー呼びますか?」オールド・バガンじゃあるまいし、そんなに苦労しないとレストランに行けないの?
時計を見ると既に時刻は21時15分である。
俺、部屋出たの9時前だよね?
私は諦め気味に
「このホテルのレストラン(という名の後ろに見える学食みたいなスペース)はまだ開いてる?」と尋ねると、開いてるとのこと。もうここでいいや。
真剣に私の為にレストランを探してくれた彼等には申し訳ないけど、私が求めることを正しく伝えることの難しとは、言語以上に価値観の問題なのであります。

メニューを見るとサバ味噌定食やら唐揚げ定食やら焼きそば、ざるそば、おにぎりセット、果ては懐かしのナポリタンまで、ここは雰囲気のみならず本当に学食?

私は注文を取りに来た店員にミャンマー料理はないのかと尋ねると、無いという。

やむ無くチキンカレーを頼んだ。

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ん?君、私はチキンカレーを頼んだはずだが?
お客様、こちらがチキンカレーです。

チキンカレーとは、チキンカツカレーだった。

私は基本的に海外で和食は食べない。
自分の中で確固たる基準があり、つまりは世界で一番私の中でハードルが高い食べ物が和食であり、満足する可能性が著しく低いからである。

やはりな、という味だった。
米も長米ではなくうるち米を使っていたが、炊き方も品質も最悪だった。

申し訳ないけど粗方残した。

全室ウォシュレット完備という殺し文句に惹かれてついつい3泊も押さえてしまったこのホテルに、早くも後悔し始めていた。
東南アジアだとウォシュレットついてなくても人力トリガー式ウォシュレットがついてるからそこに拘るべきではなかったのだ。

なんとなく悔しい気持ちでベッドに入る。
明日の計画を練る気もおきない。