パンチの葬式・・・いづみや(大宮)

今季初のアオリイカ釣りに行く予定にしていた土曜日、しかし、思いもよらぬ訃報が届き、パンチの葬式に出席することとなってしまった。

パンチと言ってもオリックスに所属していた元プロ野球選手でもなければ、タッチの上杉家で飼われていた大きなムク犬でもない。
パンチパーマで武装することで己の弱さを糊塗していた元上司にして会社のOB、パンチのことである。

我が家から遠く離れた馴染みの薄い埼玉の町へと朝イチから出掛ける。

私には死者を美化する趣味も、過去を美化する趣味もない(勿論、死者に鞭打ったり、過去を卑下する趣味もないが)。
葬儀に望むというのは、結局のところ全てこちらの都合と事情と問題であり、つまり私が出席したいと思ったから出席したまでのことだ。
淡々と焼香を済ませ、心の中で別れを告げる。
久し振りに顔をみる懐かしい人も多く、葬儀とは死者との別れの場であると同時に、生者には同窓会的な側面もある。

葬儀場で会ったDDVセンパイ(仮名)とサマーな後輩(仮名)と共に、大宮に移動して献盃することにした。
どちらも私にとっては単なる飲み友達なのだけど、冷静に考えてみれば会社が結びつけた人脈であり、多分そこには幾らかパンチも含まれているのだろう。

朝から開いてるいづみや、大宮駅前の良心に突入。

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赤星大瓶510円。
気が付けば6本も開けていた。

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生姜焼きやら焼豚やら。

思い出話や他愛もない話をして二時間ばかり飲んだり食ったり。

私とDDVセンパイがパンチの部下として机を並べていた頃、我々は20代の終わりで、パンチは40代の終わりだった。
つまり今の我々は、あの頃のパンチと全く同じ歳なのだと思うととても不思議な感じがした。

物語は始まった途端に終わりに向かうものだし、クライマックスを越えた我々の物語もいつ果てるともわからない。

存在するのではなく、生きる。
常につきまとうテーマだけど、こういう時にはより強く感じる。

don't take it for granted.
nothing is permanent.