サッポロ一番塩ラーメン

先日読了した白石一文「一億円のさようなら」に、出前一丁サッポロ一番塩ラーメンの描写が出てきた。
曰く、主人公がインスタントラーメンを食べるときは、子供の時分より出前一丁サッポロ一番塩ラーメンに決まっていた、と。

我が家では、出前一丁は母親のトラウマで自宅に常備されることはなかったが、サッポロ一番塩ラーメンは定番中の定番であった。

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そんな訳で懐かしくなり、近所のスーパーで5袋入りパックを買い求めてしまった。

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仕上げに溶き卵を回し入れるのが、小学生の頃から変わらぬ拘りである。
これは私の創作という訳ではなく、当時の包装紙にアレンジ例として記載されていた方法と記憶している。

インターネットのない時代、当時の情報ソースとはとても限定的であった。

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シンプル。
そしてしみじみと旨い。
この手の旨さとはノスタルジーもスパイスとなっており、つまりは老人の感傷の一種だ。

祖父母が有り難がって食べていた干し柿の魅力を子供の時分の私が理解できなかったように、飽食の時代にあって今の若い世代にサッポロ一番塩ラーメンのシンプルな旨さは理解できないのかもしれない。

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ちなみにこれは休みの日の昼食、という訳ではなく、軽く飲んで帰った日の夜作った締めの一杯なのであった。
お供はスパークリングワインのハーフボトルという、ブライアン・ウィルソンなみにダメな僕全開のマンデー・ナイト。