夏期休暇2018~カズベギへ(6/29)

猛烈な下腹部の痛みで目が覚めた。
午前6時半。

昨夜、現地時間18時から行われたサッカーワールドカップ、日本対ポーランド戦をホテルでワインを飲みながら観戦していたのだが、あまりにストレスの溜まる展開に二日分と思って買ったワインを全て空けてしまい、そのまま冷房をつけっ放しにしたまま昏倒してしまったのだ。

水便が止まらない。
腹痛も治まらない。

私はカズベギ行きをキャンセルするべきなのだろうか?
いや、それだけは出来ない。
翌日にはジョージアを去る私が最後の最後に取っておいた、正に旅のハイライトなのだ。

この朝5度目にトイレに行った際に腹を決めた。
もう一度下痢止めを飲もう。
クルマで片道三時間もかかるカズベギ、とにかく下痢を止めないことには車の中で大惨事を引き起こすことは必至だ。
下痢さえ止まれば腹が痛くても観光は出来る。
もしも下痢止めが効きすぎて二度と排便出来ない身体になってしまったら、その時はその時だ。

そして冷静に考えてみれば昨夜はW杯が終わってから夕食に出かけるつもりだったので何も食べておらず、当然この日の朝食もパスしている。
流石にもう出るものは何も無いのではないか?

9時過ぎにドライバー兼ガイドのジョージがやってきた。
カザフスタンから来ている女の子も同乗しているが構わないか?と訊いてくる。
既にその女性が同乗しているのにNOと言うことは、つまり私がその車に乗らないという意思表示になってしまうし、別に旅に道連れが出来ても構わない。
しかしチャーターした車の料金がそれなのに半額にならないことに多少の違和感を覚えたが、前日ダヴィドガレジに一緒に行って彼のホスピタリティと知識の高さには感服していたので、素直にお世話になることにした。

カズベギとはロシア国境にある山岳地帯の風光明媚な町だが、そこに向かうロシアへと続く道、通称「軍用道路(military road)」が既に風光明媚なのであった。

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旧ソ連時代の最期の公共事業で1985年に出来たジンバリダムとジンバリ湖。
この水の下にはかつてひとつの町があったのだという。
どこかで聞いたような話だ。
この湖のお陰で、夏はほぼ雨の降らないトビリシが水に困ることがなくなったそうだ。

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湖畔にはこんなお城もございます。

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絶景かな。

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ジョージがsalt mountainと言っていた場所。
岩塩かと思いきや、なんだか鍾乳石のよう。
真相は不明。

そしてカズベギ近郊に着いたらジョージの運転するエルグランドから地元ドライバーの運転する四輪駆動の三菱デリカに乗り換えて、オフロードをひたすら登る。

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ここに来たかったんだ!
まるでアルプスの少女ハイジにでも出てきそうなカズベギのシンボル、ツミンダサメバ教会である。

三菱デリカで登ってきた道は有名なトレッキングコースでもあり、麓から1時間半程で登頂出来るとあって、実は私は数日迷っていたのだ。
ホテルで訊ねたドライバー兼ガイドを雇うと1日100ドル。
一方、マルシュルートカ(ミニバス)だとカズベギまでは片道10ラリ(450円)で済む。
マルシュルートカでカズベギに向かいトレッキングで山頂を目指すか、車をチャーターするかでは価格も達成感もまるで異なると思われた。
軍用道路に点在する他の観光スポットも素通りするだけでなくどうしても見ておきたく、またマルシュルートカに3時間も乗るのはキツそうで結局悩んだ末に車のチャーターを選んだ訳だが、結果的に激しい下痢に見舞われていた私にはこの選択は大正解であった。

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聖なる湧水。
お腹を壊さないか心配だったけど、既にこれ以上壊れようが無いほど壊れていたのでヤケクソでガブガブ飲む。
冷たくて旨い。

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山頂を雲に覆われた山はジョージアで2番目に高いというカズベギ山。標高は5400mを超えているという。
「まるでマッターホルンみたいだね」とジョージに言うと、「確かに。でもこっちの山の方がいいだろ?」と笑いながら背中をバンバン叩いてくる。
ホスピタリティも高いが、ボディタッチも多い上に力強いのがジョージ流だ。

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カズベギの町を見下ろす。

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牛さんもいます。

冬は雪に閉ざされるというツミンダサメバ教会、しかし修道士達は冬でもここで生活するという。
いったいどうやって?
生活物資は雪を掻き分けて麓の町まで仕入れに行くのだそうだ。
恐れ入る。

「まだ元気か?」
ジョージが私に訊いてくる。
勿論、と虚勢を張る。
麓に大きな滝があるんだけど、そこに行くにはハイキングしないといけない。どうだ?行きたいか?
そりゃ行きたいに決まってる。
カザフスタン女子も行きたいそうだ。
ちなみにこのカザフスタン子ちゃん、一言も英語を話せずジョージとはロシア語で会話をしている。
我々はジョージに通訳してもらわないと何の意思疏通も出来ない。
しかしそのジョージの母語グルジア語なのである。
不思議なものだ。いや、別に不思議ではないのかもしれないけど、やっぱり不思議だな、と私は思った。なんだろうね、言葉って。

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川沿いの道なき道をひた進む。
木の根や岩、そしてところどころすれ違うのも無理な程道端が狭くなる。
踏み外したら川に落ちるしかない。

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しかしどうですか、この素晴らしい滝は!

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こちらは滝の反対側の風景。
写りこんでしまった栃ノ心のような男は、何を隠そうジョージその人である。

昼飯も食べずにたっぷりと観光させてもらい(これはむしろ私には好都合だったがカザフスタン子とジョージはお腹減らなかったのだろうか?)、また3時間かけてトビリシへ戻る。
ホテルに着いたのは7時半近く。
「昨日買ったワインとビールはまだ残ってるか?足りなきゃまた買いに連れていくぞ!」と本当に優しいジョージだが、昨日と同じ量飲んだら私は死亡してしまうだろう。有り難く気持ちだけ頂き車を降りた。
ガッチリ握手をし、Facebookアカウントを交換してからさようなら。

楽しい小旅行であった。
そしてお腹もなんとか持ちこたえてくれた。

部屋に戻って心置きなく水便を炸裂させてから、私はお土産を交うためにオールド・トビリシへと向かった。

残念ながらこれが私のトビリシ最後の夜なのである。
そして美味しいジョージア料理を心行くまで堪能できない最後の夜を、私は呪った。

この呪いは私自身に跳ね返ることとなるのだが、その話しはまた後日。