夏期休暇2018~ゴリへ(6/26)

私の知る限り日本語で書かれたジョージアのガイドブックは存在しないようで(地球の歩き方ロシアに簡単な記述はある)、さりとて入手した英語のガイドブック(lonely planet)を読む気もおきず、事前にほぼ何も調べなかったことによりかなり行き当たりばったり感がある今回の旅だが、行き当たりばったりこそ旅の醍醐味とも言える(のか?)ようにも思え、まぁ適当に楽しもう。

この日も前日同様地下鉄でdidube駅まで行きバスターミナルへ。
ゴリ行きのマルシュルートカを探し(ムツヘタ行きのマルシュ探しよりハードだった)、3ラリ払って乗り込む。
私が最後の客で、助手席含めて満員、左右を屈強な男達に挟まれて出発。

80km離れた街へ3ラリ(130円ぐらい)で行けるのは有り難いが、エアコンもないすし詰めのマルシュルートカはかなりタフな移動手段だ。

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先ずはゴリ要塞跡へ。
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傷だらけの戦士達が守っている。

そこから山道を登り丘の上の要塞を目指す。
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観光客皆無、頂上はガードマンと私しかいない世界である。
長閑だなぁ。最高だなぁ。

ここゴリが有名なのは、この要塞跡が素晴らしいからではなく、ヨシフ・スターリンが生まれ育った街だから。

という訳で、メインディッシュはスターリン博物館。
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博物館の手前、パルテノン神殿のような建物に護られた小さな家がある。
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これが移築されたスターリンの生家なのだそうだ。
かなり保存状態はいい。そして意外なことに大草原の中にあるかのような相当小さな家でもある。

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15ラリ(約700円)とジョージアの物価を考えればやや高めの館内は、ジョージア語とロシア語でしか説明がなく、私はちんぷんかんぷんなのであった。
確かにスターリンの生涯に英語の解説をつけることはある種の冒涜なのかもしれない。
とりあえず青年期、デスマスク、教科書で見るスターリンの顔など。
若い頃はイケメンだったんですね。

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そして面白いのは、スターリン専用車両が展示されていること。
疑り深く、飛行機を好まなかったというスターリン、移動は専らこの車両を利用したそうだ。
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寝室、浴室、会議室なども完備。
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続いて程近い戦争博物館へ。
独ソ戦争の展示が殆どで、この戦争は昨年観て衝撃を受けたサム・ペキンパー監督の映画「戦争のはらわた」でその存在をかろうじて知ったに過ぎないが、戦争が悲惨なのは万国共通である、という身も蓋もない感想をここでも持ったのみである。
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道なき道を登ってゴリ城跡へ。

この城を降りて、バスステーションへ向けててくてく歩いていると、
「hey,tourist!」
と地元のおじいちゃんから声を掛けられた。
私もハローと挨拶すると、
「シャンハイ?ベイジン?」と私を中国人と思っていらっしゃる様子。
日本人だと英語で答えるも、なんとこれが通じない。
ハポネス、ジャポン、ハポン、リーベンレンなどと知っている限り日本を表す言葉で伝えると、
「おおっ!」とようやく理解してもらえたご様子。
そして何度も握手を求められ肩を叩かれた。何でこんなにテンション上がっているの?
しかしオジサンはロシア語で畳み掛けてくるが英語は一言も分からず、一方で私は当然ながらロシア語はまるでわからない。
ハラショー!とかスパシーバ!とか知ってる単語を並べて笑い合う。何かのコントのようだ。
するとオジサン、ゼスチャーで俺がドライブに連れていってやる!そして近郊の見所らしい名前を羅列しているようなのだが、これがもう何一つ分からない。
一言も英語を話せないオジサンと一言もロシア語を話せない私の珍道中は面白そうでもあったが、帰りのバスの時間も気になるところだったので断念。
こういう時に千原せいじなら間違いなく付いていくんだろうな。
この辺りは人間力の差、ということかもしれない。

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帰りのマルシュルートカはなかなか人が集まらず、そしてきっちり満席にならないと出発してくれず、実に乗り込んでから30分以上待った。

せめてもの救いは隣が屈強な男ではなくとても可愛らしい女の子だったことだ。

didube駅に着いたのは18時半過ぎ。
そこから地下鉄に乗ってオールド・トビリシに向かっている途中で、同じ車輌に乗り合わせた男が「中国人か?」と英語で話しかけてきた。
日本人だと答えるといきなり握手を求められ、「俺は日本人と日本を尊敬しているんだ。」と言ってきた。「最初に中国人かと訊ねたのは中国人が嫌いだからなんだ。それは宗教的な理由ではなくhumanityの問題だ。」英語が通じにくいジョージアだからだろうか、微妙な話題をいきなりぶち込まれて少々戸惑う。日本を好きな理由を訊ねると、日露戦争に勝ったこと、そして敗戦の痛手から立ち直り経済大国となったことだという。
「ところで何で旅先にジョージアを選んだんだ?」と訊かれ、待ってましたとばかりに栃ノ心の話をしたのだが、そもそも彼は相撲を知らなかった。
ここまで私が出会ったジョージア人で私を日本人と認識しても栃ノ心の話をしてくる者は誰もいなかった。
国民的英雄、というのはどうも疑った方が良いみたいだ。

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人懐っこい猫に遊んで貰いながらビールを飲む。
8時を過ぎても辺りは明るい。

ジョージアに到着して3日、ようやく日常を完璧に忘れ、旅モードに入ってきたようだ。