誤算・・・眞久中(早稲田)

なんだかカレーを食べたい気分。

何処が良いかと考えて、そう言えば早稲田の二郎インスパイア、眞久中がカレーを提供していたことを思い出し、久し振りに行ってみることに。

ん?
無い。
店内に入り券売機を凝視する。
最近の私は、冷しそばと温かいそばの食券の区別すらつかぬほど耄碌しているのである。
何処かで致命的な見落としをしているかもしれない。

しかし、いくら眺めても、券売機にはカレーのボタンが見当たらないのであった。
どうやら提供を止めてしまったらしい。

カレースイッチの入った舌をラーメンモードに切り換えるのは土台無理な話ではあるが、かといって私にはラーメン以外の選択肢は残されていなかった。

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ラーメン並盛、ニンニク、野菜。

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眞久中のラーメンと言えばこの極太麺に尽きる訳だが、カレーを求めていた私にはこの非常識な太さを楽しむ心の余裕すら無い。

無感動に完食してごちそうさま。

最近寄る年波のせいか、或いはこの年齢になってようやく成熟を身に付けたのか、野趣溢れるラーメンに対するロイヤリティが薄れ淡麗系も美味しく頂けるようになってきたのだが、それと同時に量をあまり食べられなくなってきてもいるのである。
若い頃、実家で餃子を食べるときは平均50個ぐらいを食べていたが、先日ベトナム土産をもって実家に行った際には20個でギブアップし年老いた母は「あんたも食べなくなったねぇ」と何処か寂しそうですらあった。
ましてや二郎をや。
基礎代謝という自燃機能が衰えれば必要なガソリンの量も減少することは自明の理であり、身体が欲していないインプット量を習慣で摂取すれば、それは当然贅肉と内臓脂肪になるわけで、つまりこの変化も理にかなっているのだろう。

本質的に人生は切ない。