驚愕・・・栃尾(護国寺)

オフィスでツレションしている時に唐突にサマーな後輩(仮名)にランチに誘われ、進路を北に取るか南に取るかをしばし協議した後、護国寺栃尾を目指すことにした。

ここはメニュー豊富な上に、何でも美味しそうな町の優良中華料理店である。

今日こそ気になって仕方がない未食のオムライスを頼もうと思っていたのだが、この店と天秤にかけて迷っていたのがチャーハンの名店神楽坂の龍朋だったこともあり、またサマーな後輩(仮名)のオーダーが半チャンラーメンだったことにも触発され、肉入りチャーハンなるものをオーダーしてしまった。
米所の地名をその名に冠する栃尾、やはり米に対する拘りは強いようで、パラパラともしっとりとも違う、ふっくら炊いた米をフワッと纏める独特のものなのだ。

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あれ?
ふっくら炊いた米をスポイルするギトギトの油、フワッとした食感皆無のベチョベチョのチャーハン、いくらなんでもこれはない。
おまけにチャーハンに乗ったチャーシューは冷蔵庫から出して切って乗せただけ、冷たいままなのである。
酷い。あまりにも酷い。

弊社のビブグルマンの異名をとるサマーな後輩(仮名)もしきりに首を傾げている。
彼の見立てでは、奥さんが鍋を振るチャーハンは旨く、大将の振るチャーハンは不味い。店の味が落ちたのではなく、今日はオーダーの都合で大将が鍋を振ったのだろう、というもの。
流石はビブグルマン、私などとは視点が違うのである。

その後はすっかりと葉桜になった桜並木を含む裏道をトボトボ歩いて腹ごなし。
やや愚痴っぽいニュアンスのサマーな後輩(仮名)の言動に、首肯してしまいがちな私である。何故なら個人的には完全に同意しているからだ。
しかし、愚痴にはストレスを吐き出す効果はあるが、基本的には問題解決の為には無力で、むしろ情況を悪化させるのみであると私は見做している。

私は偉そうに説く。
この何だか分からないモヤっとした不快感を、先ずは言語化しよう、と。
我々人間とは、言葉を持ってしまったが故に、多かれ少なかれ言葉に規定される存在なのだ。
だからこそ、言語化することさえ出来れば、その不快感を対象化するところまで止揚できる。
対象化出来てしまえば、それに対処することは可能なのである。

先ずは敵を正しく知ること。
お互いに頭を使おうではないか。

もしも提供されたチャーハンが最高に美味しかったならば、こんな話にはなっていなかったかもしれぬ。
そう考えれば、この残念なチャーハンにも少しは意味はあったのかもしれない。

私たちは間違いなく大きな問題を共有している。
そしてその問題の本質は、社会問題ですらあると私は見なしているのだ。