旅読書

私が旅に出る理由の30%程を担っているのが読書を心いくまで楽しみたいという欲求であり、とりわけ日常生活の中での(主に)通勤読書ではなかなかに没頭することが難しい長編小説を楽しむためには、海外一人旅ほど絶好の機会はない。


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昨年10月末のタイ旅行の際に持っていった本は町田康「告白」と、花村萬月の王国記シリーズ6冊である。

思えばこの王国記1「ゲルマニウムの夜」私が初めて読んだ花村萬月の小説であった。京都出張中に手持ちの本を全て読み終えた私が、暇潰しに覗いた四条烏丸の本屋で熱い店員オススメPOPのついた文庫化されたばかりの同書を偶然手にしたのである。
あまりの暗さに辟易してのめりこめなかった記憶があるが、16,7年ぶりに読み返すと、この作品の冒頭を不思議と覚えていた。
ゲルマニウムの夜とは、この長大な物語の導入部に過ぎなかったことを随分と後になって知った。

ところで古本屋で全6巻セットで購入した本書(本当は好きな作家の本は書店で購入したいのだが、既に絶版状態だったので)はこれで完結ではなく、この後に文庫化されていない続きが2冊ある。
それでも第7巻の「神の名前」は古書で購入出来たが、最終巻の「風の條」は定価の3倍ほどのプレミア価格がついたものしか見つからなかった。
著者に申し訳ないと思いながら安く買うのが古書であって、出展者に不当な利益を供与してまで買いたくない。
私は図書館で借りてこの物語を読了した。

花村萬月の超長編では私が愛して止まない「私の庭」、「百万遍」、「ワルツ」、「二進法の犬」には満足度では及ばないけれど、花村版カラマーゾフの兄弟という趣で大変に面白い読書体験だった。特に主人公(でいいんだよね?)朧が告解場で聴罪司祭のモスカ神父に未来に犯す予定の罪を告白するシーンは、まるでカラマーゾフの兄弟における大審問官のようにエキサイティングかつスリリングであった。

確かに大衆受けする小説でもないし、ましてや万人が楽しめる本でもないと思うけど、自社の主催する新人純文学賞の最高峰、芥川賞受賞作である本シリーズが、文庫化もされないというのは如何なものか?
更に。
本作が電子書籍化されていれば、私は迷うことなくKindleを購入するつもりだったのだが、電子書籍化すらされていないというのはどういうことだろう?
いくら純文学を担う出版社と言えども文化事業ではなく営利追求団体であるのだから、販売の見込めない作品を印刷することは出来ないという事情は理解できる。
しかし、電子書籍化であれば紙を刷ることに比べて損益分岐点は低いのではないだろうか。
営利追求団体であれど、文化を担うという役割に対して矜持と責任と気概をもってほしいものだと思う。
良い小説を読める環境を提供出来ないことは作家にも読者にも不幸なことだし、それが出来るのが出版社なのだから。

ちなみに予備で持っていったネビル・シュート著「パイドパイパー」はバンコクからの帰りの飛行機で読み始めたのだが、これも素晴らしい小説であった。
どういう経緯で積ん読の山に加えてあったのか全く覚えていないのだけど・・・。