台湾放浪記~高雄から日月潭へ(12/31)

朝、目を覚ました私は時計を見て愕然とした。
8時50分?

早起きしてビュッフェが開く6時半に一番乗りし、8時台の新幹線に乗って昼前には日月潭に入ろうと昨夜は8時に入浴してから寝る準備を整えたのであった。寝落ちしたのは10時前だろう。
それがあろうことか、そのまま11時間も惰眠を貪ってしまうとは...。
四つ星ホテルのベッドとは、そんなにも寝心地が良いのだろうか?

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お粥と担仔麺、そして洋風のおかず。
なんともミスマッチだが、やたらと品数が多いのは流石は四つ星ホテル。
しかし朝イチの予定が9時半終了のギリギリに滑り込むことになろうとは。

11時過ぎにチェックアウト、MRTで左營に行き、新幹線に乗り継ぎ。
台中駅で下車し、日月潭行きのバスチケットを購入して案内されたバス乗り場に行くと、そこには恐ろしい大行列が形成されていた。

程なく到着したバスは始発ではなく、既にある程度の客が乗っており、並んでいる人の半分も乗れただろうか?
これでは次も乗れないかもしれない、と列後方の私は絶望的な気分になっていたが、執拗な白タクの勧誘に二組6名程が乗っかり、なんとか次のバスに乗れた。
ホッとすると同時に、嫌な予感もした。

台中出発後、1時間半ほどで日月潭の湖畔までは着いたのだが、港の外周路が凄まじい渋滞で全く進まない。
私の嫌な予感は確信に変わっていた。

ようやく到着したバスセンターで下車した私は、愕然とした。慄然とした。呆然とした。
湖畔の外周路は竹下通り並みの混雑、そして埋め尽くす人びとの殆どが大陸からの爆爆軍団と思われたからだ。

力なく歩いて宿を目指す。
周囲の喧騒とは真逆に着いた宿は無人であり、カウンターには「外出するのでチェックアウトの方は鍵を置いてそのまま帰ってね」というような内容とおぼしき中国語の貼り紙があった。
生憎と私はチェックアウトではなくチエックインなのである。
ふと見ると宿のビジネスカードがあり、そこに携帯番号が書いてある。
やむ無く私はかけてみると、意に反して年配の女性が出た。
事情を説明すると、5分で戻るという。
キッカリ5分後に、私の母と同世代とおぼしき年配の女性がバイクに乗ってやってきた。
英語は微妙だったが、有り難いことにカタコトの日本語が話せる。

部屋に荷物を置き、遊覧船の一日券を宿で購入して、いざ日月潭へ!

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芦ノ湖ぐらいのサイズだろうか?中禅寺湖よりは小さく感じる。
ともかく、これが台湾最大の湖なのである。

対岸の船着き場で降りて、ロープウェイのチケットを買い求める。
ここからロープウェイで一山越えた先に、原住民の博物館的な施設があるという。

しかし博物館的なものは既にクローズ、そして係員に聞くとあと5分程でロープウェイの運行が終わるというではないか!
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単にロープウェイ乗るだけで300元、アホらしいにも程がある。

遊覧船の運航も17:40までとのこと、暫く辺りを散策してから船着き場に行くと...
なんと長い桟橋に乗り切れない程の大行列が!
船に乗るまでに実に30分以上要し、こんな晴れの日にこんな観光地に来てしまった己の迂闊さを嘆くしかない。

夕食のレストラン街もさながら戦場の様相で、日月潭の適正来客数を上回る観光客が押し寄せていることは明らかである。

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なんとか潜り込んだ食堂にて、蒜泥白肉、竹筍湯、白米、ビール。
これで325元というのは観光地価格といったところか。
まぁ、美味しかったけどね。

相変わらず湖畔のメインストリートは竹下通り状態、しかし確かなことは分からないが大陸からの爆客と台湾人が半々ぐらいのような気がする。

いずれにせよ人混みにまみれてカウントダウンなどするつもりもなく、私は酒を買い込んで早々に宿に引き上げたのだ。
カウントダウンなんかどうでもいい、私は初日の出に期待しているのだ。
しかし湖畔脇の駐車場に面した大変に防音の悪い安宿、11時頃から断続的に爆竹を鳴らしながら騒ぐ若者、煩くてとても寝られたものじゃない。
そして日付が変わった瞬間に、同時多発テロ的な爆音に見舞われた。

どうやらすぐ近くで打ち上げ花火が上がっている。
宿の窓を開けると、
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目の前で巨大な花火が炸裂している。

ハロン湾に浮かぶ船で初日の出を拝むつもりが雨のち曇りで肩透かしに終わったことが躓きの始まりだったのだろうか?
それとも初釣りで掛けた真鯛を残り10mでバラしたことがいけなかったのだろうか?

こうして私の冴えない2017年は爆音と共に去り、見えない2018年が爆音と共にやってきた。

とりあえず新年だ。