タイ放浪記~浮浪児、火葬、ピザ(10/26)

朝9時半発のバスに乗り、チェンライへ一泊二日の小旅行。
しかしこれがなかなか辛い旅となった。

2日前にスコータイから戻った際、バスターミナルにてチケットは購入済み。
全席指定の1等バスであるが、指定席の罠にハマった。

出発30分前にバスターミナルに到着、早々にバスに乗り込み出発を待っていると、車掌に誘われて十代半ばとおぼしき一人のたいそう汚ならしい少年が私の隣に座った。
極限まで汚れて穴だらけのリュック、大きめのビニール袋一杯に大量のお菓子、薄汚れたTシャツもよく見ると綻びまくり、髪は林家ぺーを不潔にした感じ、少年らしく太さのまるでないガガンボの脚のような疎らな口髭は5cmぐらいありそう。
そしてその臭いたるや!
子供らしくない猛烈な腋臭、1ヶ月は風呂に入っていないかのような凝縮された汗臭さ、頭部が放つ皮脂の臭い、そして生乾きの服を着たかのようなすえた臭い。私は目がちかちかして吐き気すら催しそうだ。

てっきりタイ人かと思ったのだが車掌は英語とタイ語のチャンポンで話しかけている。このバスはチェンライ経由のゴールデントライアングル行きなので、タイ語母語としない山間部に住む少数民族の少年なのかもしれない。

あまりの臭いに集中力が削がれ、読書を諦めてタオルで鼻を覆う。しかしそんな態度も嫌味っぽくて、私は半ば彼に背中を向けるかのような姿勢で眠ることにした。

3時間半程でバスはチェンライのバスターミナルへ。
只今改築中につき近隣の未舗装露天の広場が仮ターミナルになっていたが、どうやら前日激しい雨が降ったようで足下は泥濘。
気前よくトランクからポンポンと荷物を泥濘に放り出す職員、私のバックパックを泥塗れにしてなるものかと先に引っ張り出してセーフ。トゥクトゥクの客引きをかわして徒歩でホテルを目指す。

チェックイン開始の1時間前だったので荷物を預けるだけのつもりが、部屋の準備が出来ているとのことでチェックイン完了。
腹も減ったし、早速街に繰り出したのだが...。

実はこの日は昨年亡くなったプミポン前国王の火葬の儀が行われるため、国中が追悼一色、ほぼ全ての店が閉まっており街はさながらゴーストタウンのよう。

ホテルのフロントに教えて貰ったレストランは休業、地球の歩き方に載っていた年中無休24時間オープンの食堂も臨時休業、片っ端からレストランを当たるも休業、休業、休業。
在位70年、内戦も軍部の反乱も一撃で抑えるカリスマ性、タイ人からは絶大な人気を集めた国父なのである。私も昭和天皇崩御後の大喪の礼の時の常ならぬ雰囲気をよく覚えているし、歴史の節目に自分が直面していることを実感したけど、恐らくタイの人々にとってはもっともっとオオゴトなのだろう。

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放浪の末、こんなピザレストランが開いていたのを発見し、やむ無く入店。
ハムとマッシュルームのピザSサイズとビールを頼むと、
「今日はビールは売れないんです」と申し訳なさそうにお姉さん。
仕方がないのでペプシを頼む。しかしタイ最北部、チェンライまで来てピザとペプシって...。

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宅配ピザのようなのがやってきた。ハイハイ、いつものアレねと一口食べると、
「なにこれ、旨っ!!」
こういうジャンクなピザ自体が久々なのであるが、ピザハットを遥かに凌駕する激ウマがきた。特に生地のパンがヤヴァイ。
一気に食らいつきあっという間に完食。
ずーーーーっとタイ料理ばかり食べていたのでもしかしたら少し飽きていたのかもしれない。
ここチェンライは私がタイで、否、東南アジアで初めてピザを食べた町として私の記憶に残ることだろう。だからどうした、という話ではあるが。

その後は観光。
まずはバンコク王宮に隣接するエメラルド仏を祀った、かの有名な寺院と同じ名を冠すワット・プラケオへ。
ガイドブック情報によれば、バンコクのワット・プラケオに祀られているエメラルド仏もかつてはここに納められていたのだとか。

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こちらは1990年にプミポン前国王の御母堂90歳の誕生日のお祝いとして作られたという比較的新しいもの。大きさはバンコクのものと一緒だそうだ。
バンコクのワット・プラケオは2011年9月に訪れたきりだが、こんなに近くでは見れなかったように記憶している。

次いでワット・プラ・シン。

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これも先日訪れたチェンマイの同名のお寺と兄弟関係にあるらしい。

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何故かガラス張りの向こうでライトアップされている仏陀がユーモラス。

さて、その後山岳民族博物館に行くも、なんと博物館までも臨時休業である。

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あてもなく歩いていると、国王への献花台があった。
サムロートゥクトゥクがずらりと並び、あたりには軍だか警察の制服を着た人と、喪服姿の一般の人で大変な賑わい。
本当に人気があったんですね...。

喉が乾いたので地図上にバー密集地と書かれた場所に行ってみる。

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ハイ、アウト。

しかしこんな事態は想定内。
昨夜のうちにシンハーの缶ビール4本パックを買い求め、バックパックに忍ばせておいたのである。

雲行きが怪しくなってきたので一旦ホテルに戻り大事なシンハーを1本。
テレビをつけるとほぼ全てのチャンネルで国王の葬儀の生中継。

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あ!秋篠宮御夫妻が!

案の定スコール的な短時間豪雨に見舞われ、止んだのを見計らってナイトバザールへと繰り出す。
チェンライのナイトバザールは規模こそ小さいものの山岳民族の民芸品が豊富ということで、可愛い部下達のお土産はここで買おうと決めていたのだが、完全に肩透かし。
それでも家内制手工業で作られたとおぼしき製品をなんとか見つけてゲット。ううむ、こんなはずでは...。

昼間はほぼ全滅であったレストランも、夜は多くが店を開けて街は賑やかさを取り戻していた。
ナイトバザール近くにもタイレストランがあり、メニューを確認するとビールもある。
意気揚々と入店し、店員に「トム・カー・ガイとシンハー!」と元気に告げると、「今日はビールはありません。水かコーラはいかが?」と返される。
私は力なく微笑み、「OK、じゃあ出ます」と席を立つ。
その後目についたレストラン2軒で入口で店員に「ビール飲めますか?」と訊ねるもいずれも断られすっかり意気消沈。

試しにバーの並ぶストリートに行ってみると、一軒たりとも開いていない。

違うんですよ、タイの皆さん!日本には献杯という習慣があるんです。飲んで騒ぎたい訳じゃない、偉大なる前国王に献杯をしたいだけなんです!

ガックリと肩を落としトボトボ歩いていると、過剰な店内照明にガラス張りの作りで店内の様子が大変に見易いハンバーガーレストランでビールを飲んでる白人を発見!
吸い込まれるように店内へ。

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タイ料理は皆無、そして殆どのメニューが売り切れていたので、私はシュリンプスパゲッティなるものとシンハーをオーダーした。
ビールの飲めないタイ料理より、ビールの飲めるパスタをここタイの北の果てチェンライで選択してしまうのだから、私は自分が思っている以上にアルコールへの依存度を高めていたのだと思い知り少しだけ悲しい気分に。
そしてスパゲッティは120バーツと朝食べたカオソーイの3倍もしたが、私はフランスとアメリカで食べたパスタのあまりの不味さに愕然とした経験があるので全く期待していなかった。美味しいパスタとはイタリアと日本にしかないのである。しかし、予想を裏切りこれが普通に美味しいパスタでびっくり。

ここチェンライは私がタイで、否、東南アジアで初めてパスタを食べた町として私の記憶に残ることだろう。

だからどうした、という話ではあるが。