不夜城…小肥羊新宿店

台風接近に伴い風雨強まるなか、仕事と感受性絡みの会合で新宿へ。

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台風は南方の温かく湿った空気を身に纏い、街は異様なまでの蒸し暑さである。

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暑いときこそ辛いもの、激辛指定の火鍋が旨い。
生ビール150円という嬉しいセールも開催中。

同席者の職場の不健全極まりない話しにいささか唖然とする。
我が職場の健全さについて、私は大いなる疑問と多少の不満はある訳だが、比較にならない恐ろしい不健全さだ。

相対的にまともだということで私自身が納得する類いのものではないが。

当人には既におかしなフィジカル・リアクションが現れているようで、精神が相当に追い詰められている印象を受けた。

生憎とこの世には一定の割合で先天的に心が壊れている人が存在する。

おかしな人との関わりの中で精神がダメージを受けつつもそのダメージを言語化/対象化出来ない結果、SOSとして現れたのがそのフィジカル・リアクションなのだと私は考えた。
我々は少なからず言語によって規定される存在である。言語がアイデンティティーの源泉となることは台湾やインドネシアで学んだし、母国語の言語システムはある程度自分の中の思考システムにも影響を与えている。
一方で上手く言語化/対象化されない感情は、脳がその実態をきちんと受け止める事が出来ないケースも多かろうと思う。

という私も漠然と考えていたことをこのように文章化することで系統的に捉えることが出来ている訳だが。

ところで根本的な問題の、予め心が壊れている人と社会の中で否応なく付き合わねばならぬときにはどうすれば良いのか?
友よ、その答えは風に吹かれている。

と、ここは偉大なる先人のお言葉をお借りして、一先ず棚上げしておこう。

社会や組織の不健全さと個人が対峙した時に、個人が勝利するのは本当に難しいのである。