ベトナム放浪記~ホイアンからフエへ(5/1)

ベトナムハロン湾に浮かぶ船の上で迎えた2017年も、早くも5月ですか。
光陰は哀愁の尾を引きながら矢の如く過ぎ行く。

5月もベトナムで迎えたということは、とりもなおさず半年足らずでこの国に再訪したということである。
自分で選んだこととは言え、なんか不思議だ。

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ホイアンからフエに向かうバスは二段式寝台のこんなバス。
はっきり言って本を読むには適さない。

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世界の車窓からベトナムバス旅編。

途中トイレ休憩を挟み3時間半程でフエに到着。
街の地図が全く頭に入っていないのだが、Googleマップで見ると私が予約したホテルはここから650mしか離れていないようで、タクシーの客引きを交わし炎天下の中をトボトボ歩く。
Google様の言うとおりに歩いていたら迷うことなくホテルに到着した。
なんというか、便利なような恐ろしいような世の中になったものである。
スマホの奴隷、システムの奴隷、家畜。
利便さとはそのうらにディストピア的な側面も孕んでいる。

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麺類で昼食を。
牛肉焼きそばといったところか?
これがまた滅法旨いのであります。

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ベトナム最後の王朝があったフエ、まずは王宮を見ないと始まりません。

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ベトナム戦争で完膚無きまでに破壊されたこの王宮、メインな建物は粗方再建されているものの、手付かずで瓦礫の山となったままのものもある。

またもやアメリカによる武力行使がちらついているだけに、色々と思うところもある。

とりあえず私に出来ることは、木陰を見つけてビールを飲みながらひと休みすることぐらいなのだけど。

しかし暑い。
ホイアンよりいくらか緯度は北なのだが、ジリジリと身を焼くような熱さが尋常でない。
おまけに花粉の無い世界に逃亡してきたというのに、鼻の調子はいくらか改善したとはいえ依然として悪く、なんだか頭も痛い。

どうせ気楽な一人旅、私はしばしば休憩を挟みながらのんびりと街を歩いた。

そう言えばフエの王宮の中で携帯電話に向かい必死に仕事の弁明をしている男性と、部下の仕事のやり方を電話越しに大声でなじっている男性と立て続けに遭遇した。いずれも日本人である。
何故日本人とわかったのかと言えば、二人とも日本語を話していたからである。もっとも後者は河内弁というのだろうか、かなりキツイ関西弁だったので初めは中国人かと思ったのだけれど。

善悪の問題ではないのは百も承知だが、他の国の人ではあまり見かけない光景である。
もっとも国内にいる時でさえ滅多に仕事の電話などかかってこない失われた存在の私なんかに、「こんな時ぐらい仕事を忘れれば良いのに」などと言う資格が無いことも承知していますけどね。

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夕食はフエ名物のブン・ボー・フエ。
ピリ辛スープの牛肉入り米粉麺、フエの代表的なローカルフードであるとのことだったが...。

麺が鍋で忘れられたマロニーの如く柔らかく、スープはあっさりしていて辛さは殆ど無く(唐辛子の過剰摂取で私の味蕾が死に絶えている可能性もある)、旨いことは旨いのだが感動には至らず。
しかし若い女性店員達が皆明るくて可愛かったので良しとしよう。

カンボジアラオスでも遭遇した社会主義国家的なダークネスに触れることも少なくないが、ベトナム若い女性達は元気で可愛い娘もとても多い。

杉田二郎に「戦争を知らない子供たち」と歌われたのは正に我等が世代だが、ベトナムにおける戦争を知らない子供たちとは今の若い世代ということになろう。

陰惨な歴史から真に解放されることとは、このような人たちの台頭によってのみもたらされるものなのかもしれない。

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