再会の街、ハノイ。

私はハノイに選ばれているなと思った。

ナイトマーケットを彷徨いてホテル戻る帰り道、ごみごみした交差点の中で唐突に大声で名前を呼ばれた気がした。

ベトナム語に私の名前の発音に似た単語でもあるのだろうか?
しかし訝しく顔を向けた私の目に入ったのは、数日前にハロン湾に浮かぶクルーザーで共に新年を迎えたオーストラリア人カップルだった。

いやー、東京ほどの広さも人口もいないとは一国の首都ハノイで巡り会うなんて、結構な確率なのではないだろうか?
軽く立ち話をしてから握手をして別れた。

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ハノイ最後の夜、私はタンロン水上人形劇を観に行ったのだが、開演を待つ私の目の前の席に、見覚えのありまくる老夫婦が座った。

それはパフューム・パゴダに向かう手漕ぎボートに乗り合わせたイスラエル人ご夫婦だった。
思わず奥さんの肩を叩くと、振り返ったご夫婦もたいそう驚いていたようだ。
全席指定、1日5回公演、同じ回を観るだけでも相当な確率だと思うが、よりによって私の真ん前に狙い済ましたように座るなんて!

公演終了後、ご夫婦と手を振って別れた。
奥様は私にウインクしてアインシュタインのように舌を出してから去って行った。
私の母親と同じ年頃と思しき高齢だが、なんともチャーミングな方だ。

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更に極めつけは帰国する日の午前中のこと。

空港送迎の車を13時にお願いし、これでハノイともお別れだと名残惜しく町中をうろついていると、「へい!パフューム・パゴダ!」と呼び掛けられた。
声がした方を見やると、同じバスツアーでパフューム・パゴダに行き、同じテーブルで昼食を食べたアメリカ人カップルが笑顔で手を振っているではないか!
ツアーの時は殆ど会話らしい会話はしなかったけど、あまりの偶然になんとなくお互いに立ち止まり、しばし立ち話。
彼等はシカゴからやってきたそうだ。
「次は日本に行かなくちゃ。」と彼等。
「絶対日本に来るべきだ。」と私。
さようなら。気を付けて。縁があったらまた会おう。

袖ふれあうも多生の縁。

しかしハノイにおける再会具合は桁外れであったなと今振り返っても強く思う。

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