老舗・・・美家古鮨(浅草橋)

鮨屋のカウンターで会社のセンパイと食事。

お子さんが成長されて家族旅行の習慣がなくなり昨年より一人旅を再開したというセンパイと、5年前に離婚して身軽になった故に暇さえあれば金はなくとも世界を放浪しているワタクシ、孤独な大人の孤独な夏休み同士のお土産交換会であります。
センパイはお土産を自宅に置き忘れてましたけど...。

ところで鮨屋(ないしは寿司屋)という純和風の飲食店に「カウンター」という外来語は似合わない。
付け台と書こうとして念のために調べてみたら、カウンター席のことは「板前」と呼ぶことを初めて知ったのであった。
付け台とは板前が鮨を置く一段高い部分のみを指すそうだ。恥ずかしながら全く知らなかった。

時節柄、そして立場上、楽しい話だけでなく、ショッパイ話題が時折混じるのもやむを得ないところかもしれない。

都庁も国会もJOCも伏魔殿らしいが、こういう話を聞いていると我が社もスケールのやたらと小さな魑魅魍魎が跋扈する、ミニ伏魔殿であるようだ。

話を咀嚼すると、伏魔殿的な要素とは全て内向きの村社会的な価値観に起因していることがよくわかる。
そこにあるのは依存、承認欲求、虚栄心、顕示欲、村の頂上を目指す惨めな上昇思考等々、全てが内向きで仕事の本質とは無関係のネガティブな感情や価値観に基づいている。

私はある個人的な危機をなんとか乗り越えることができた経験から、組織の論理を無条件に尊重することは絶対にしないと決めている。
尊重すべきは自分の心だ。
組織人の一員として勿論組織の論理や決断を不同意のまま受け容れることもある。少なからずある。しかし受容とは、同意や肯定とは全く異なる概念だ。

私の尊敬するある医師の言葉だが、「村八分にならない唯一の方法は、村の住人にならないことである」というものがある。
この言葉に感銘を受けて以降、私は「仕事の為に村に通うだけで、村には住んでいない人間」という設定を自らに課している。

さて前置きが長くなった。
この美家古鮨、江戸時代に屋台の鮨店として開業、一説によれば創業200年近く、少なくとも150年は余裕で経過しているという老舗の中の老舗であります。

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店内はやたらと天井の高い重厚な日本家屋。雰囲気ありまくり。

塩辛を肴にビール、次いでお造りをつまみながら日本酒へと進む。
日本酒は冷やかぬる燗の枡酒。「枡の角に乗せて下さい」と岩塩もついてきた。渋いぜ!

最後に握りをお任せで。

いやー、これが吃驚仰天!
ネタが大きい、シャリも大きい、出てくるスピードが超速い!
そういえば江戸の庶民の食事であった江戸前寿司は、元来ネタもシャリも大きかったのだと何かで聞いたことがある。

そしてせっかちな江戸っ子気質。
こちらが食べ終える前に次の鮨を繰り出してくる大将のスピード感も、もしかしたら江戸時代からの伝統なのかもしれない。

六代目という強面の大将も話してみれば意外と気さく。

メニューが一切無い江戸前スタイルながら値段も良心的(とご馳走してもらった身で言っていいものか?)。

私の最愛の浅草の某寿司店には個人的な好みでは及ばないものの、伝統の重みを感じずにはいられない存在感のある店でした。

また来ます。

ちなみに老舗の鮨を携帯電話で撮影するのはいかにも不粋な気がして、写真は外観のみであります。