30回目の正直・・・11/12野毛屋

「今年はアオリいるぞ!何でまだやらないの?」操舵室からひょっこり顔を出してキャプテンUGが私に尋ねた。

何で?

それは今年は例年になく休日出勤が多く、夏休みですら数週間前に取得したばかり、アオリを釣りに行く余裕がないのである。

カツオ、マグロも釣りに行けぬままにシーズンはほぼ終了、新子狙いのスミイカや秋の訪れを告げるカワハギ、初期は良型が出やすいアマダイ、遂に解禁した南房ヒラメ、食味にやられたクロムツ、あれもこれも出来ていなくて私の心は千々に乱れる。

もう11月も半ばであるが、この日の真鯛釣行が今年30回目の釣り。釣りを生業としていない人間としては充分に多いのかもしれないが、多い年で70回、少ない年でも50回は海に繰り出していた私としては、異例の少なさである。
そして釣行回数が減れば結果として最も好きな真鯛釣りの比率が上がってしまい、その他の種目に手が回らないのだ。

時刻は既に13時半を回っているのに只の一度もアタリが無い。15時満潮のこの日、残された時間はあまりにも少なく、追い詰められた私には、今アオリについて考えるような余裕などまるでない。

私は集中した。
集中こそが重要だ。

キャプテンはタイラバなんて誰でも釣れるとよく宣う。
確かに運に左右される要素が強い釣りであることは私も認めるところではある。
しかし、安定的な釣果をあげること、勝率をあげること、一日の釣りではなく長い期間の連続性の中でこの釣りを捉えると、実はとんでもなく奥深いのではないだろうか?というのが最近の私の見解である。
多くの人はその深淵の一端にすら触れてもいないのに、理解したつもりになっている。そう、かつての私のように。

一言で言うならばとても哲学的な釣りである。千倉のヒラメ釣りのようなヘーゲル弁証法的に哲学的なのではなく、「どんな剃刀にも哲学はある」というサマセット・モーム的に哲学的なのだ。
つまり一見無意味な行為の反復を長い期間続けることによりそこになにがしかの意味が付与されるという意味合いでの哲学であり、同時に垂直に掘り下げることによってのみ普遍性を獲得できるという芸術でもある。

私もまだこの道を掘っている途中だ。

しかし掘り進むに連れて私のタイラバ道具はどんどんシンプルになっているのである。それは「迷い」こそがこの釣りの最大の落とし穴であるという私の結論の現れだ。

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15時15分、上げ潮が完全に止まったところで沖上がりのコールがあった。

この日の戦いも終了である。

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小さいながらも真鯛が2枚。
釣趣には不満が残るものの、悪くない釣りであった。



【釣果】
7時15分出船、15時15分沖揚がり
真鯛2枚(1.1kg、0.6kg)
外道:サバフグ


【タックル】
ロッド:ZENITH零式 LIGHT G-TOP L 
リール:DAIWA RYOGA BAY JIGGING C1012PE-HWL
ライン:PE0.8号、リーダー:フロロ4号


<キャスティング>
ロッド:Major Craft GIANT KILLING S73L/TR
リール:SHIMANO TWIN POWER MgC3000
ライン:PE0.8号、リーダー:フロロ3.5号


【本日の総括】
秋鯛が最も活発化する季節、10回アタって4枚釣れるというイメージで挑んだ。

しかしながら降り頻った冷たい雨、吹き荒んだ冷たい風、海のコンディションが急変したのだろうか?
アタリ2回、ヒット2回、ゲット2枚という渋さであった。
釣れたポイントも第三海保ではなく観音崎航路ブイ周りの60m前後。

穏やかな日並が続けばまた真鯛の活性も上がることだろう。
なにしろ下がったとは言え東京湾の水温はまだ20度近くあるのだ。

この日も釣れたことにより苦戦続きであった2016年第二忠丸真鯛戦線は5勝4敗とようやく勝ち越しにこぎ着けた。
来場所に繋げるためにも残りの取組では白星を重ねたいところだ。

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