諸説・・・GOSSOU(早稲田)

和製ドナルド・トランプとも称される暴言王、サマーな後輩(仮名)に誘われて早稲田でラーメン・ランチ。

目指すはGOSSOUであります。

ところでGOSSOUという店名は何に由来しているのだろうか?
私は「ごちそう」が訛ったものか、店主さんがアンジェラ・ゴソウのファンであろうとにらんでいるのだが、暴言王ことサマーな後輩(仮名)の見解は「いごっそう」でしょ?とのこと。

しかし繊細なGOSSOUのラーメンは「いごっそう」のイメージとは対極であるし、そもそもメニューには土佐の要素も無い。店主さんが高知県出身の可能性はあるけれど。

そんなわけで諸説入り乱れる我々の推測は、いずれも決定的な説得力に欠けるのであった。

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オーダーは味玉ラーメン、玉ねぎトッピング。
いつもながら丁寧に作られているのだが、この日はスープがややヌルく、その為かカエシも強めに感じた。

更に朝食を抜いて空腹だった私は、お上品な麺量がもの足りず替え玉をオーダーしてしまった。しかし博多ラーメンの細麺とは異なり中太麺のGOSSOU、待てど暮らせど替え玉は提供されず、その間にスープは私の○○に対する愛情の如く更にどんどん冷めていく。確かに「替え玉提供には2分かかる」と但し書きはあるけれど、私がコールしてから提供されるまでは余裕で5分以上はかかっている。
そもそもがこの麺、替え玉というシステムに適さないなのではないでしょうか?
ここでは大盛りを頼むのが正解であるようだ。

上質で美味しいラーメンであることは間違いないが、私とはどうしても相容れない部分がある。

今は亡き護国寺のちゃぶ屋がブレイクして以降、こういう「おしゃれラーメン」というのは確かにラーメンにおけるイチジャンルとして定着した感じもする。
しかし「おしゃれ」という言葉を侮蔑語と認識しているパンクな私は、おしゃれラーメンと対極にある二郎を愛してやまない。

ラーメンとは豪快にすすって食べるべきもの。そもそもの存在がプリミティブでブルータルなのだ。そう考えるとお上品なラーメンには根本的な矛盾も見え隠れする。

とは言え多様性もラーメンの魅力であるわけで、自らのラーメン・ポートフォリオにこの手の店を加えておいても損はないかな?

ちなみにGOSSOUのすぐ近くに例の店を彷彿させる黄色い看板のインスパイア店らしきものを発見した。

こちらも試さないと...。