台湾放浪記・・・10/28
気のせいだろう。
気のせいに決まっている。
私は全て絞り出したはずだ。
しかし気のせいではなかった。
噴火の兆候のような違和感は、今や明確で暴力的な衝動となって突き上げている。
台北駅から乗った台湾国鉄の区間車(各駅停車)基隆行き、私は2駅目の南港駅で緊急途中下車した。
引き返そう。
チェックアウトしたばかりのホテルに戻るのだ。
しかし頬を伝う脂汗、異音を発する下腹部。爆発は近い。
とてもじゃないが間に合わないと判断した私はホテルに引き返すことを諦め、南港駅の綺麗とは言い難いトイレに飛び込んだ。
ようよくトイレットペーパーを流せる環境、更にウォシュレットまで完備されたホテルにすっかりと安心した私は気が緩んでしまったのか、どうやらお腹を少々壊したようだ。
水便炸裂。
最後の最後にウォシュレットの恩恵を受けたはずなのに、結局流せぬトイレが最後のトイレ(大)となった。
しかしこうも言えるかもしれない。
「私はこの旅を通じて、今までにない強さを手に入れたのだ」と。
もう私を思い悩ますものは何もない。
再び基隆を目指す。
高雄と並ぶ台湾最大の港、基隆。
今を遡ること70年、大戦に敗れた日本による統治が終わり台湾は中華民国に返還、日本人引き上げ船はこの港から出航したという。
“去る日本人も、見送る台湾人も、双方涙を流した”と何かで読んだ。
支配されていた台湾人が、支配していた日本人との別れを悲しんで涙を流す―。
戦後教育しか受けていない私が、いや、我々日本人が知らない歴史の一面だ。
当時の面影など残っているはずもなかろうが、それでも一度この港をこの目で見たかったのだ。
客船を当時の引き上げ船に重ね勝手に哀愁に浸る私は、傍から見たら単なる偏執狂的船マニアに見えたかもしれない。
この時何故だが私の脳内ではbloodthirsty butchersの「幼少」が際限なく再生されており、涙が滲んだ。
船の名前は「TAIMA STAR」。
まるでポール・マッカートニーのような船名である。
そのままバスで基隆の見どころを回ろうと思ったが、雨脚が激しくなってきた。
「晴れ」の天気予報を完全に信じてわざわざ傘をホテルに預けてきた素直な私は、哀しくなって台北に戻ることにした。
台北に来たら一度は食べなきゃ気が済まない阿宗麺線。
変わらぬ旨さ。
そこから15分程歩いて度小月の台北支店へ。
台南本店と変わらぬ旨さ。
私の遅い夏休みもいよいよ終わりである。
空港でオーダーした生ビールは何故かアサヒ・スーパー・ドライであった。
財布には3000台湾ドルが残っている。
私は両替せずに当然そのまま持ち帰る。
これが私の最後の台湾訪問になるはずがないからである。
シーズン・オフだからさぞや空いているだろうと思った帰りの便は見たところほぼ満席であった。
日本と台湾の交流にはオフ・シーズンなどないのだろう。
いいことだ。
再見!