違和感

走るとは単なる運動ではなく、頭と身体との自己内対話でもあることを体験として知った。

自己内対話という概念を知ったのも、その重要さに気が付いたのも、割りと近年のことであるが、自己内対話の多様性にもこうして気が付いた訳である。

好きな音楽を聴きながら走るのも楽しいものだが、時には自分の足音にだけ耳を傾けて走るのも悪くない。
足音はリズムであり、自らが刻むリズムを頭で認識することも対話の一つの形である。

ちょっと頑張って長めの距離を3日続けて走ったお盆休み、右膝に違和感を感じた。
以前違和感を無視していたらその後鵞足炎に発展し酷い痛みに一月程悩まされた記憶が蘇り、暫く脚を休めて様子を見ることに。

するとその翌日、右膝の外側を押すと軽く痛みを感じるようになった。
違和感はこのサインであったと思われる。

勿論脚を痛めて喜ばしいことなど何一つとして無いのだが、身体の小さな異変を察知する自己内対話力が増したことについては喜ぶべきなのかもしれない。

これを書いている時点で休足は6日目、若干の違和感は残っているものの膝の痛みは消滅している。
どうやら怪我を未然に食い止めることができたようだ。

日曜日にはジョグを再開しよう。

対話は続く。

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