時は終わる…6/9野毛屋

時は終わる。
 
と、bloodthirsty butcherの吉村秀樹は歌った。
 
時は終わる。
 
時は、終わる。
 
…。
 
20世紀に終わりを告げた7分50秒にも及ぶこの永遠の名曲のタイトルは文法的には日本語として少しおかしいような気もするが、 爆音と静寂・緩と急・希望と諦念・怒りと赦し・恰好良さと情けなさ・拡散と受容・etc...相反したり矛盾したりするあらゆる感情やら概念を包括して総括した日本語ロックの一つの到達点であり指針である。
 
いや、この曲に限らずこのバンドの存在自体が日本語ロックの一つの到達点であり指針であったわけだが…。
 
ちなみにロックとは聴くだけのものでも無いし、奏でるだけのものでもない。
根源的には「生き方」の問題なのだ。
 
既存の権威やら、親やら、先に産まれたという理由だけで偉そうに先輩面する糞やら、特権意識を持っている俗に「先生」と呼ばれる職業に従事する人間の中の一部やらが押し付ける価値観に無自覚に従うのではなく、自分由来の感情と価値観と常に対話しておかしいものにはおかしいと言う、カッコ悪いものはカッコ悪いと断罪しカッコいいものをひたすらに愛する。そういう姿勢が「ロック」なのだ。
だからロックとは能動的に奏でるだけのものでも、受動的に聴いたり触れたりするだけのものでもなく、自身の在り方ということになる。
 
ロックを卒業した?
下らないこと言うんじゃねえ、それはロックからお前が弾かれたんだ。
卒業という言葉で超えたつもりになってごまかしているけど、自分が自分であることを放棄して権威に身を委ねる社畜か家畜に成り下がっただけじゃねえか!
 
kocoroあるロック・ファンにとって、ある種の指針であり続けた吉村秀樹が死んだ。
 
受け入れられないとか信じられないとかいう輩も大勢いるが、間違いなく言えることは我々は「吉村秀樹のいない世界」で我々の生を全うするまで生きていかなければならなという厳然たる事実を受け入れざるを得ないということだ。
 
だから何だよ?
 
俺が真鯛を釣れないことなんて何の問題も無いじゃないか!
 
俺が持ち過ぎていたと自らが錯覚する時が終わっただけさ。
 
 
 
【釣果】
7時15分出船、16時沖揚がり
外道:ムシガレイ、ホウボウ、サバ、イシモチ

【タックル】
ロッド:ZENITH零式 LIGHT G-TOP L 
リール:DAIWA RYOGA BAY JIGGING C1012PE-HWL
ライン:PE1号、ハリス:フロロ5号

【本日の総括】 
明けない夜はないように、止まらない連勝もない。
この日は上げ潮の流れ端に真鯛がヒットしたものの、掛かりどころが悪かったか遊動式タイラバで初めてのバラし、まあ遊動式であっても掛けた真鯛が100%取れるわけではないのだ。
 
丸ボウズも珍しくない東京湾タイラバで外道4目釣っておかずを確保出来たならば本命釣れずとも及第点とは言えるかな?
 
例年より遅れてきた東京湾真鯛のノッコミ、次の大潮周りでもリベンジのチャンスは十分にあるだろう。