不在の存在感・・・渋谷「富士屋本店」

夕方に渋谷で仕事を終えるとにわか雨などが降っておりまして、雨宿りがてら上州屋で釣具などを物色しておりますと、突然大きな余震に見舞われたのでございます。

ここのところ地面が揺れる度に私は何故か刹那的な気分に陥いるのが常でして、あてのない将来に備えるよりも今を楽しむべきだという思いに捕われ、つい手にしていた竿を購入してしまったのでございます。
嗚呼、享楽的な夏の日のキリギリスよ!

さて、買ったはよいものの釣竿などを持って会社に戻ると、隠しておいた私の変態性が露見してしまう恐れがあるのではないかと思いあたりました。老いたとは言え私のサラリーマン人生はまだ充分に長く、これは大変危険なことです。
そこで私は会社に電話をかけ、「体調がすぐれないのでこのまま直帰する」と告げたのでした。そしてそれは満更嘘ではなく、前夜は38度を越える熱があり、その時も平熱を上回る体温であることは明らかだったのであります。

しかし、釣竿を持っていようと、体調が悪かろうと、夜になれば食事とアルコールが必要なことに変わりはありませぬ。

そこで私は上州屋を出ると駅とは反対方向へと歩き、富士屋本店へと続く地獄の階段(STAIRWAY TO HELL)を無心で降りたのでした。

“いつも変わらない凄み”のようなものを感じる富士屋本店ではありますが、その日は何やらいつもと様子が違っておりました。
違和感の正体はすぐにわかりました。
いつもの名物おばちゃんが不在で、その代わりに見慣れぬ若者がカウンターの中にいたのでした。

瓶ビールとマカロニサラダとナスミソとはんぺんチーズ揚げを注文し、1250円支払いました。

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おばちゃんは不在でも、料理はいつも通りの富士屋本店のそれでした。
いつもと違うのにいつもと同じということは、なんとはなしに不条理なことであるように思われました。
きっと私が死んでも会社は何一つ変わることはないに違いない。
そう思って少しだけ哀しくなりました。

ビールを飲み干してもおつまみはたっぷりと残っていたので大瓶をもう1本頼みました。

2本目のビールを空けてもまだおつまみが残っていたので、今度は冷酒を1合頼みました。

お酒3本、つまみ3品。

立ち飲み屋基準では潮時でした。

具現化された哀愁とメランコリーの象徴である釣竿を手にとると、私は天国への階段を昇り、HOLLOW HOUSEへ向けて歩きだしました。

家のセラーでは沢山のワインが私の帰りを待っていたのでした。
適当な1本を手に取りコルクを抜くと、本を読みながらチビチビとワインを飲みました。

ワインは旨く、本は面白く、世の中捨てたモンじゃないなと思いました。

そしてこう思いました。
「風邪気味の時はビールの旨味がよくわからなくなる一方で、安い赤ワインは甘露のような至福の味わいになるのは何故なんだろう?」