再生・・・3/27野毛屋

土曜日一歩も家から出なかったら、暗澹たる気分になってきた。

家でふさぎ込んでいても状況は変わらない。
日常を取り戻す為の自発的な努力をしなくてはならないと強く感じ、翌日曜日には思い切って金沢八景へ行くことに決めた。
日常を取り戻す為にはやはり釣りが必要不可欠なのだ。

3時半には目覚めていたのだが、そして玄関には道具一式を抜かりなく準備していたのだが、この期に及んで本当に釣りに行くことが正しい選択なのかとウジウジ悩んでしまって出発が遅れ、船宿に到着したのはいつもよりかなり遅い6時半頃だった。それでもアオリ船は先行者3人。四隅で唯一空いていた右舷大艫の釣座札を取って受付を済ませ、社長と二言三言交わしてから船へ向かう。

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津波の影響で壊れた桟橋はまだ復旧の途上。
湾内には転覆したまま野ざらしの船もあって、湾奥の金沢八景でもこの有様なのかと改めて思い知る津波の威力に身のすくむ思いがした。

結局最終的に乗船客は7名となり、盛況とまでは言えないまでも船上はそこそこ賑やかな感じとなった。



前々日に地震以来約2週間ぶりに出船した第二忠丸は、浅場から深いところまで徹底的に竹岡沖を攻めたものの型を見ぬまま一日を終えたとのことで、この日は剣崎直行便となったのだが・・・。

・・・。

釣れない。
全く釣れない。

各地で釣れまくっているヤリイカぐらい釣れても良さそうなものだが、誰も何も釣れないまま徒に時間だけが過ぎていく。

とりあえず天気は最高だ。
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朝方吹いていた北風が止むと海はベタ凪となり、そして地震があろうと津波が来ようと地球は自然の摂理に従って太陽の周りを周回している訳で前月までに比べると随分太陽の位置は高く、陽射しは強くて暖かく、完全に季節は春になっていたのである。
そして穏やかな陽気の中で北東の空を眺めるともなく眺めていると、あの空の下で、このほんのちょっと先で、多くの人命が失われ、今も危機的状況が続く原発が現実に存在しているという事実がいかにも不条理な事だと思われ、深く考えずにはいられなかった。

“兄弟が亡くなった日にいつも通りに朝がきて、そしておまけにその日は最高に天気が良くて、大事な人間が亡くなったというのにいつもと全く変わらない、その青空を憎んだ”、というようなことをいつかどこかに遠藤周作が書いていたのを読んだ記憶がある。(もしかしたら細部は違うかもしれない・・・。ちょっと自信がない。)
今回の震災で身内にも友人にも命を落とした者はいなかったけれど、この日の空を眺めていたら、この時の遠藤周作の心持ちがとても良く理解できるような気がした。

結局のところ“想定の範囲外”という概念は、裏を返せば“想像力の欠如”という事なのだと実感した。
想像力を鍛えねばならない。
その為には多くの物語を自分の中に取り込んでいくことが大切なのだ。


そして程度の差こそあれ、“想定外”の物語はこの日の第二忠丸でも進んで行った。

剣崎に見切りをつけた船は、下浦、久里浜、鴨居、観音崎と北上しながら探索を続け、その後東に大きくサイド・チェンジして大貫を探索した。
それでもあらゆるイカは第二忠丸の7人の乗客と中乗りエストシ君(仮名)のしゃくるエギを無視し続けた。
しかしこうも思う。
果たして本当にイカはそこに居たのだろうか?、と。

最後に旧第三海保を攻めても結局外道を含めて全く釣れず、午後3時丁度にキャプテン勇治は弱々しく沖上がりを告げたのだった。

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【釣果】
7時15分出船、15時沖揚がり

【タックル】
ロッド:マニアス・アオリスペシャル350
リール:スピードマスター201
ライン:PE2号、ハリス:フロロ5号

【本日の総括】
この日遂にイカは釣れず、今シーズン初めてアオリイカのボウズは喰らってしまった。
ボウズはつきもののアオリ釣りとはいえ、開幕以来概ね順調に釣れ続けてきただけに2営業日連続で船中ゼロというのは異常事態、やはりこれも地震の影響なのだろうか?

それでもこの日は二つの収穫があった。
一つ目はこんな状況下でもやはり海の上は最高に気持ちが良いと感じたこと、そして二つ目はこんな状況下でもやはりボウズは悔しいと思えたことだ。

悔しさはバネになり、気持ち良さはクセになる。

この思いが未来につながるわけです。