新聞との決別

学生時代は実家で購読していた朝日新聞を読み、就職してからは日本経済新聞を読み、結婚してから再び朝日新聞を読んでいた。

しかしここ最近では新聞を読む事が億劫に感じるようになり、かつ休みの日には新聞が届く前に外出(つまり釣り)する事が多くて全く目を通さないままだったりして、もしかして自分の人生には最早新聞は必要ないのではないかと思うようになった。

新聞を読む事が億劫になった最大の理由は、新聞よりもインターネットの方が情報の伝達が速く、かつ携帯電話でいつでもアクセス出来る為わざわざ新聞を広げなくても必要な情報は比較的容易に得ることが出来る為である。

更に言えば20代の頃は金融機関で働いていた為に政治経済国際情勢の情報を得る事は必須であったが、今の仕事は日本経済の営みとはほぼ無縁の世界であり、尚且つ業界全体で見ても日本のGDPにおいて占める割合は鼻糞ほどの価値もなく、つまりこの高度情報化社会の中で敢えて対価を払って情報を得るという行為が今の自分に全く不要な行動だと思えてきたのだ。

そして“そもそも論”的に考えれば、日本の新聞システムの特異性は昔から議論され尽くされているほど明らかであり、その特異性を受け入れた上で自分が新聞を購読していたのかと問われれば答えはNOであり、やはり惰性でここまで来たのだと判断せざるを得ない。

そんな訳で新聞止めました。

なんか身軽になりました。

ゴミは減るし、可処分所得は若干増えるし、ますます頭は悪くなり世間との歪みは大きくなるかもしれないけど、これでいいのだ!

今後は浮いたお金で釣り関係の情報を今まで以上に貪欲に集めるとしよう。
そして新聞を読む為の労力は、好きな本を読むことに充てるとしよう。
なんかそう決めただけでQOLが早くも向上したような気がする。経済動向や社会情勢に乗り遅れたって何の関係もないのだ!

でも数ヶ月後にはまた新聞の購読を始めてたりしないとも限らない。

なんてったって気が変わりやすいですから、ボク。