2011年東京湾冬タチウオ最終船・・・2/23川崎「中山丸」

その数日前から観音崎沖からタチウオの群れは姿を消し、東京湾のタチウオ船ではどこも殆ど釣れなくなっていた。
他の種目に切り替えるという戦法も考えられたが、俺と(我が釣友)DDVセンパイは結局予定通りに川崎中山丸のタチウオ船に乗船し、敢えて厳しい戦いに挑むことにした。

この様子では船はガラガラに違いないと思ったが、乗船は12人だか13人。我々以外にも物好きな人って結構居るものだ。

7時半に出船した船は1時間程走って観音崎沖のタチウオ船団に合流。
船は結構な数いるのだが、やはりと言うべきか、殆どの船はガラガラだ。

水深80mでのジギング。
全く釣れないジギング。
この徒労感と空虚感と疲労感は並大抵のものではない。
“努力は報われない”というのは我が人生観の一つだが、この日の釣りは正にその人生観を地で行くような展開となった。あらゆる意味の自身の行為に対してすぐに見返りを求めるような性格の人間は、この釣りに手を出すべきではないと強く思うのであった。

それでも諦めずにジグを巻き続けなければ少ないチャンスをモノにすることは決して出来ない。漫然と釣り糸を垂らしていたって魚は喰ってくれないのだ。

半日船では心許ないから1日船を選んだのだが、報われることのないワンピッチ・ジャークをその分長時間こなさなければならないというパラドックス、それは娯楽とは程遠く、まるで精神と肉体の修養の場のようであった。

船団の他の船でも殆ど釣れておらず、ついに痺れを切らした船長は魚影を求めて鴨居、竹岡、久里浜と南方を探るあてのない旅を始めた。

・・・。

こんなことならアオリ船乗るべきだったかな?
ふとそんな邪な考えが頭を過ぎった。

「どこにも第二忠丸の姿が見えないね」とDDVセンパイ。彼も同じことを思っていたのかもしれない。

結局アシカ島まで到達した船はそのまま止まることなくゆっくりと西寄りの海域を探索しながら北上し、結局元の船団に合流した。
何処を探しても大きな群れが見つからないなら少ないとはいえ釣れている船団の中がまだマシということなのか?

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タンカーでけ~~~。

ところが落と潮が完全に止まる頃、俄かにタチウオの活性が上がった!
周りの船でもポンポン釣れ始め、我々の乗った船でも反対の左舷から嬌声が上がっている。
「なんかチャンスタイムですよ!」若い船長がアナウンス。
しかし、そんな絶好の時合に俺はなんと向かいの船とオマツリ!
哀しみを堪え、焦る気持ちを抑え、必死にオマツリを解いていると、
「キターーーーーー!」と隣から織田裕二の物真似が聞こえてきた。
「!!!」
見るとDDVセンパイが銀色に輝く長い魚体を釣り上げているじゃないか!
しかもここ数日「釣れても指2本のサンマ級が多い」と聞いていたのだが、それは4fingerの90センチ・クラスと良型であった。
この時合を逃すとヤバイ!
オマツリ解いてジグを落とし込む。すると海底に到達する前に糸フケ、これは!
と思ってアワセると、
“ドンッ!”
“キターーーーーー!”
重い引き味で型は悪くなさそう。しかし途中からリールのハンドルが不自然に重くなった。
するとまたもや向かいの船の同じアングラーとオマツリ、しかも向こうも魚が掛かったと勘違いしたのかラインを緩めてくれず、道糸全て巻き取り残るはリーダーだけ、もう魚が見えているところで全くハンドルが巻けなくなった。リーダー掴んで抜き上げようにも向かいの船とオマツリしている為に糸が海面と水平に近いようになっトップガイドから出ていて手を伸ばしても届かない!
“このままじゃバレちゃう!”
焦った俺はDDVセンパイに助けを求める。するとこの状況に気が付いた船長が操舵室から出て来て手を伸ばしてリーダーを掴むと、一気に抜き上げて獲物を取り込んでくれた。ふう~~~、危ないところだった。

この一瞬のフィーバーが終了すると、海は再び静けさを取り戻した。

上げ潮も効かず、活性は上がらず、船上は元通りに沈黙した。

そして2時過ぎから海上保安庁の巡視船が「航路を空けろ」と煩く付き纏ってきたのを機会に、
「すいません、ギブアップという事で上がらせてもらいます。」と船長が諦め気味に沖上がりを告げたのであった。
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【釣果】
7時30分出船、14時20分沖揚がり
タチウオ1本

【タックル】
ロッド:TENRYU OCEANIA OC581B-4
リール:Abu Garcia Salty Stage REVO BJ-L
ライン:PE1号、リーダー:フロロ6号、先糸フロロ40lb

【本日の総括】
予想はしてはいたが、やはり激渋。
昼過ぎの一瞬の高活性時を逃したアングラーは軒並みボウズとなった厳しい展開の中、我々は揃って1本ずつ良型の本命を持ち帰れただけ良かったと言うべきなのかもしれない。そしてこの日をもって川崎中山丸のタチウオ船は終了となったのであった。

“こんな事ならアオリ船に乗れば良かった”と思った我々であったが、帰宅後に野毛屋HPの釣果欄を見てビックリ!
なんとキャプテン勇治は風邪でダウン、そして本職のウイリー船を休んでまでアオリの代役船長を務めるはずの俊之船長までが風邪でダウンしてしまい、大勢の客がきたにも関わらずこの日のアオリ船は急遽出船中止となっていたのだ。
そりゃ何処捜したって第二忠丸の姿が見えないワケだよ。

結果オーライ。

冴えない釣りをしてしまったけど、不戦敗を喰らうよりは戦って負けた方が遥かにマシだと思うのだ。