2011年初餃子・・・赤坂「珉珉」(みんみん)

赤坂で仕事を終えたある夜、ふと思い出してかねてから気になっていた“餃子が旨い”と評判の「珉珉」へ足を伸ばすことにした。

ところで個人的に餃子という料理には特別な思い入れがある。

幼い頃は極度の偏食だった俺は、肉、魚、乳製品、殆どの野菜が嫌いで、餃子とカレーとコロッケと漬物(人参とキュウリの糠漬け)ぐらいしか好きな食べ物がなかった。
米も味噌汁も嫌いだったし、ハンバーグを食って吐いたことすらある。
そんな数少ない好物の中でも特に好きだったのが餃子なのだ。
(今にして思えば母親の作る料理にも大いに問題があったような気がしないでもないのだが、子供の狭い世界においては相対評価など確立していないのだった。)

そんな訳で今でも“家庭の味”と言えば真っ先に思い出すのが餃子だし、たまに実家で食事をする際は決まって餃子をリクエストする。

しかし、不惑を過ぎた今、そんな実家の餃子が本当の意味で旨いのかと問われれば、それは「NO」と答えるしかない。

皮は薄く、肉より野菜が多く、焼く時に油をあまり使わないから焦げ目はパサパサで、それでいて全体的に水っぽい。形もなんかおかしい。
しかし三つ子の魂百まで的にこれが俺の餃子スタンダードとして身についているのであり、蒲田の羽付き餃子も、福岡の鉄鍋餃子も、浪花の一口餃子も全くもって好みと合わない。
世間一般における“旨い餃子”という価値観と、俺の中に構築された餃子観とは成り立ちを異にしているのであり、それは一言で言うならば“文化の違い”と言っても差し支えないであろう。
ちなみにご当地モノの餃子では宇都宮餃子(特にみんみん本店)が最も旨いと思うし、Bグルの亀戸餃子もかなり好きである。

話が逸れた。

で、珉珉である。

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普通に醤油と酢とラー油を使ってタレを作っていたら、店員のオバチャンがやってきて、
「ウチの餃子は餡が美味しいから、こうやって食べて!」
と言い、酢に大量の胡椒をふりかけただけのつけダレを目の前で作って俺に差し出したのだった。

『こんなもん旨いわけないだろ』と内心半信半疑どころか90%以上疑ってその“酢胡椒ダレ”につけて食べてみたら…。

“旨━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!”
餃子に関しては歪んだコンサバティブな価値観を持つ俺だが、未体験かつ脱帽の旨さ、たまらず餃子とビールおかわり!

そんな訳でメインにしようと企んでいた看板メニューの“ドラゴン炒飯”はこの日食べず終いであった。

なかなかこちら方面に来る機会が無いのだが、再訪必至である。

そして餃子の多様な価値観を認めることが出来た自分自身に、呪縛から解き放たれた自由を見出したのだった。