ご当地ラーメン・・・神座渋谷店
旅先でしか食すことの出来ないご当地料理というのはやはり魅力的だ。
“地のモノフェチ気質”の俺は国内だろうと海外だろうと旅先では原則的に地元食材・料理しか口にしたくない。
ラーメンにもご当地料理というものは存在する訳で、好き嫌いはあるものの、その土地ならではのラーメンを食すことも旅の楽しみのひとつだ。
京都に行ったら新福菜館、博多に行ったら八ちゃんラーメンとかね。
一方、当初はご当地ラーメンであったはずが、グローバルな支店展開を行い全国区になってしまうというケースもある。
京都の天下一品や、福岡の一蘭などがその代表であろう。
東京に居ながらにして各地の旨いラーメンを食べられる事は有り難いとは思う。
しかしその半面、ある種の情緒のようなものが失われる事も否定できないように思う。
しかしその半面、ある種の情緒のようなものが失われる事も否定できないように思う。
大阪の神座も、7~8年前までは大阪でしか食せない味だったが、最近東京のアチコチに出来ている。
通常のラーメンの枠を超えているというか、俺にとっては“創作料理”といった感じだが、東京に出来る前は“折角だから…”という気持ちから大阪に行った際は良く食べていた。
通常のラーメンの枠を超えているというか、俺にとっては“創作料理”といった感じだが、東京に出来る前は“折角だから…”という気持ちから大阪に行った際は良く食べていた。
渋谷をあてもなく彷徨っていたある日、小腹が減ったのでなんとなく目に付いた神座に入ってみることに。
う~ん。
…。
不味くはない。
しかし、東京でこのラーメンを食べる必然性を感じないというか、“ご当地料理でないなら食べる必要がない”というのが正直な感想だ。
そう言えば昔は福岡に行く度に食べていた一蘭も全く食べなくなっちゃったしなあ…。
しかし、東京でこのラーメンを食べる必然性を感じないというか、“ご当地料理でないなら食べる必要がない”というのが正直な感想だ。
そう言えば昔は福岡に行く度に食べていた一蘭も全く食べなくなっちゃったしなあ…。
“旅情”という哀愁が失われた一蘭や神座には用は無い。
便利過ぎる世の中というのは、一方で味気の無い世の中でもある。
と、不器用好きな俺は思うのだ。
と、不器用好きな俺は思うのだ。