苦行・荒行・命懸けのヒラマサ・・・10/3山正丸

天高く馬肥ゆる秋。
と、申しますが・・・。

・・・。

・・・・・・。

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しかし、この日の大原沖は低く垂れ込めた雨雲から大粒の雨が断続的に降り続けた。そして徐々に風が強まり、2時頃からは風速20mを超える大暴風が吹き荒れ、うねりの高さは3mを超える始末、いくら大型船の山正丸といえども、錐揉み状態でとても釣りが出来る状況では無かったのだった。

左舷の3人の客達、すなわち俺、DDVセンパイ、(弊社が誇る釣り歴四十余年のアラカン・アングラー)ちょいワルH氏は初めてのヒラマサ・ジギングだというのにこの最悪のコンディション、いきなりの試練というか、外房の海からキツイ洗礼を浴びせられた格好だ。

ポイントを移動する際も船は最徐行。それでも激しいウネリのせいで容赦なく潮がたたき付ける。船上ではクーラー・ボックスやタックル・ケースが縦横無尽に転がるという一大スペクタクルだ!ライフジャケットの着用が義務付けられている理由もこの海を見たら一目瞭然。それ以上に俺は港まで無事に帰ることが出来るのかが不安だった。

東京湾相模湾の船ならば早々に早上がりとなっただろう大シケ。それでも山口船長はドンドン攻め続けたのだった!7名の乗客に船酔いでダウンする者が一人も居なかったというのも驚きだ。さすが外房のツワモノドモといったところか?或は命の危機にさらされると船酔いする余裕すら失われるのかも知れない。
いずれにせよ、今まで“タフ・コンディション”だと思っていた状況など遥かに凌駕する本当の激タフ・コンディション、激しく揺れる船で踏ん張って立っているだけでも重労働なのにそんな中でジャークを続けることは苦行以外の何物でもなく、俺は心身内蔵に至るまで全てが疲弊したのだった。


結局日が暮れて辺りが闇に包まれるまで粘った船長だったが、船中は外道含めて釣果ゼロ。

皮肉な事に寄港する途中に雲が切れはじめ、頭上には中秋の名月が穏やかに顔を出したのだった・・・。

完敗。


【釣果】
12時15分出船、17時45分沖揚がり

【タックル】
<ジギング>
ロッド:TENRYU OCEANIA OC581B-4
リール:DAIWA SALTIGA 30L
ライン:PE4号、リーダー:フロロ60lb
<キャスティング>
ロッド:PALMS CORALSTAR 70M
リール:SHIMANO TWIN POWER SW5000HG
ライン:PE3号、リーダー:ナイロン40lb

【本日の総括】
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全くの余談だが、大原に向かう途中俺の愛車の走行距離が44444kmに到達した。死を連想させる不吉な数字ということで、読売巨人軍の長い歴史の中でも番場蛮しか背番号につけなかった(という設定になっていたと記憶しているが、実際は永久欠番)というこの4という数字も昭和44年4月に生まれた俺にとってはラッキー・ナンバー。これは吉兆に違いないと内心密かにほくそ笑んでいたのだが・・・。

朝のうちは大雨で午前船は欠航、午後船一本に絞ったこの日の山正丸だったが、結果は午前以上に海のコンディションが悪くなってしまったようだ。天気予報、オオハズレ。

しかし予報が外れて前線が下がったのは何故か?それが二人の前厄男が乗船していたことによる負のツインパワーがもたらせた厄災だったとしたら本当に恐ろしい・・・。

下船後、タックルを片付けて車に積み込んでいると山口船長がやってきて「今日はスイマセン、ケガはありませんでしたか?」と話し掛けて来た。さすが外房、荒れると大変ですねみたいなことを言ったら、今日は大嵐でこんな状況での出船は滅多に無いとのことだった。天気予報では風速8m予報だったのに、前線が予報以上に下がって風速20mの突風になってしまったとのこと。
前日大原沖でヒラマサ7本揚げた船があるそうだが、今日の海じゃとてもそんな沖まで行けなかったそうだ。そりゃそうでしょうなあ。
「海があんなんで舵から手が離せなかったもんだから、一度も操舵室から出れなくてスイマセンでしたね。」と最後にまた詫びを入れてもらっちゃった。そんなの船長のせいじゃないのにな。

プロショップで聞いたところでは有名アングラーやメーカーのテスター、そして求道者的ダイハード・ジギンガーが集う敷居が高い船宿・山正丸。しかし少なくともこの日の午後船は状況こそ苛酷であったが和やかな雰囲気であった。

タイラバを始めたお陰で釣れない釣りにもボウズにもすっかり慣れた。
近いうちにリベンジしなければなるまい。
但し、次回は天気予報をジックリと見て不穏な気配が無いことを確認してから出掛けようと思う…。