さらば、キリン・ザ・ゴールド。

キリンビール創業100周年事業の目玉として大々的に売り出された「キリン・ザ・ゴールド」が、発売から僅か2年で姿を消すことになった。

最近取扱店がめっきり減ってきた事を危惧しながらこのビールを愛飲していた俺にとっては『ついにこの時が来たか。』という感じだ。
そして今、最期の1本を飲みながらこの駄文を書いている。

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そもそもこのビール、ラガー・一番搾りに続く第三の定番という位置付けを標榜していた割にはコンセプトが難解だった。
麦芽100%”を高らかに謳いながらも味の特徴はオールモルトならではの豊かなコクを売りにするのでなく“隠し苦み”という聞いたこともない概念。更にアルコール度数も当たり前過ぎる4.5%で、開発コンセプトによれば「2杯目3杯目もおいしく飲める」のだとか。これって矛盾しているんじゃないの?と突っ込みたくもなる。だって寿司屋だって焼肉屋だってあっさりしたものから始めて徐々にコッテリしたものへ移っていくのがセオリー。飲み物だって同じじゃないか!

このビールを初めて飲んだ時の印象を一言で言えば“おきにいった味”という感じだった。老舗メーカーが心血注いだ新作、なるほどそつなくまとまってはいる。しかしコクも苦みも中途半端で、これと言った特徴が感じられないのも事実。
俺は思った。恐らく研究開発段階ではもっと独創的なアイデアが沢山出ていたに違いない。でも開発が進むにつれ、キリン100年の重みを振りかざすロートルどもが「これはキリンの味じゃない」とか「こんなのビールじゃない」などと言って個性的なプランをことごとく潰し、結果このような最大公約数的無個性に落ち着いたのではないか?、と。

そう、そういえばデカデカと缶に書かれていた“隠し苦み”の文字は、最近ではパッケージから完全に消滅していた。この事実も“隠し苦み”という概念がいかに定着しなかったかを示す証左に外ならない。


そんな俺がこのビールにハマルきっかけとなったのは、ある暑い夏の夜のことだった。

この時、近所の酒屋で特値で叩き売られていたこのビールを俺は何の気無しにケース買いした。
そしてキンキンに冷やしたビールを、これまたキンキンに冷やしたグラス(勿論ギネスのチューリップ・グラスだ!世界で一番ビールを美味しく飲めるこのグラスは、U2やシン・リジイと並ぶアイルランドの偉大なる財産と言えよう。)に注いで一気に飲み干す。「?」う、美味い・・・。麦芽100%でありながら、ドライのように軽い喉越し。でもドライのようにコクも風味も無い淡泊な味と違ってくっきりとした苦味が尾を引く。コレが隠し苦味か!俺はようやく開発者の意図を正確に理解したような気がした。

それ以降、夏の暑い時期はザ・ゴールド一本槍で、冬場は一本目をザ・ゴールドでグビッといった後にクラシック・ラガーやエビスなどのしっかりした味をじっくり飲むというライフ・スタイルが確立されたのだった。
以来、味噌や醤油を切らしてしまうことはあっても、キリン・ザ・ゴールドが我が家の冷蔵庫からなくなることなんて今日まで無かったのに・・・。

鳴り物入りプロ野球に入団した大物ルーキーが全く活躍する機会無く、人知れずひっそりと引退していく・・・。
そんな情景を思い起こさせる巨哀愁だ。

そういえばうちの会社にも他社での華々しい実績を引っ提げて鳴り物入りで入社したにも関わらず、鳴かず飛ばずで閑職に追いやられている人間が何人かいるな・・・。

なんか苦々しく思ってたそいつらに、少しだけ優しくなれそうな気がした春の夜。