アメリカの鱒釣り・・・第四章

VENICE BEACHのBEST WESTERNにチェックインした我々は、部屋に荷物を置くやいなや海岸へと急いだ。目当てのサンセットは、今まさに水平線に完全に隠れようとしているところだった。これでも一応間に合ったと言えるか?
そして日が暮れればディナー・タイム、これがアメリカでの最後の晩餐になるわけで、さて何を食べるべきか?しかし我々に提示された選択肢は極めて少ない。
何故ならば、ホテルから歩いて行ける範囲にレストランは数軒しかなく、そのどれもが決め手に欠ける…即ち全く魅力がないのだ!
さして広くもない繁華街を物乞いに絡まれながら何周も練り歩く我々。
混んでる寿司屋、奇妙なメニューが並ぶ大衆中華、客が全く入っていないオーストラリア風BBQ、ジャズの生バンドが下手糞な演奏を奏でているアメリカン・レストラン、その他アルコールが供されないジャンク・フード店がいくつか。これが我々に与えられた選択肢の全てなのだ!不毛な熟考の末に我々が選んだ店は、結局アメリカン・レストランだった。

メニューを見ると、どうやらオススメはフィッシュ&チップスらしく、地元紙LA TIMESの絶賛コメントも引用されている。昔々、アメリカで食したフィッシュ&チップスの異様に脂っこくも生臭いという負の二律背反制を同時に体現した凄まじいテイストに完全にノックアウトされて以来、イギリスでもアイルランドでもフィッシュ&チップスを極力避けるようになってしまった俺だが、他にめぼしいメニューもなかった為にDDVともどもコイツをオーダーした。
そしてしばらくしてそれは運ばれてきた。バスケットに山盛りのイモと共に巨大な魚のフライが二切れも乗っかったそのグロテスクなルックスのそれは、口に入れずとも容易に味が想像できる。

………。

まあ、想定の範囲内の味と言えよう。寧ろマイナス100を想定していたのにマイナス80が出てきてラッキーだったと言うべきか?
料理にあわせてオーダーしたナパ・ヴァレー産シャルドネが旨かったのがせめてもの救いだ。食事しながら我々は互いに撮った写真を見せあったり、それぞれの印象に残ったシーンなど語ったりしながら今回の旅を総括する。しかし俺としては成田空港から始まりここに至るまでの今回の行程の全てが順調に進みすぎ、その上カメラに(或いは携帯に)収められた写真は余りにも完璧過ぎ、なんというか本当に自分の身に起こったことなのか実感がわかない。
手元には紛れも無い証拠写真があるにも関わらず、幸福感が強すぎて、現実感が喪失してしまったような気分だ。余韻にすら浸ることができない、変なテンションに身を委ねる。

食事を済ませると我々はホテルのバルコニーで二次会を開始。ケース買いしたシエラ・ネヴァダをどちらかと言えば黙々と、最後の1本まで飲み干したのだった。
まるで「僕と鼠」がチームを組んだ夜みたいに。

翌朝我々はホテルで悲惨極まりない朝食を済ませチェックアウト、一路ロサンゼルス国際空港を目指す。苦楽を共にした事で借り受け時よりも若干情の移ったFORD FUSIONをレンタカー会社の空港営業所に返却すると、シャトル・バスに乗り大韓航空のチェックイン・カウンターへ。
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搭乗手続を済ませ釣竿と荷物を預けると、これで本当にアメリカとお別れなんだという感傷が押し寄せる。感傷?確かに感傷だな。アメリカを去ることが感傷的だなんて、初めての経験だ。
「帰りの飛行機でもビビンパ出るかな?」とDDV。良い質問だ。
生まれて初めて乗った往路の大韓航空機内食として供されたビビンパの味は下手な焼肉屋で食べるよりも遥かに旨く、俺達は大いに驚いた。人生に於ける良いことが全て終わってしまったかのような喪失感を感じていた俺は、この一言で帰路という名の今後の人生にも若干の楽しみを見出だすことが出来たってわけだ。

そして免税店で土産を買った後、最後のシエラ・ネヴァダを飲むために寄った空港のバーで妙に感傷的な気分に浸りながら、俺は心の中で今回のツアーをサポートしてくれた全ての人達(お互いの家族や職場のスタッフは勿論、会ったこともないけれど愛用ロッドのデザイナー島津さんやBUX5.1の産みの親である福田さんに至るまで)に感謝していた。

アメリカでトラウト・フィッシングをするという夢を果たした今、トラウト・フィッシングをする為にもう一度アメリカに来るという新たな目標が生まれた。
今まで通いに通った管釣りは、この旅のための練習に過ぎなかったのではないか?という気がする。
だから来るべき次回の本番に備えてこれからも管釣りに通おうと思うのだった。




アメリカの鱒釣り…完