移動(スリランカ旅行記)

バンコクに向かうタイ航空機は、九州付近で台風9号の影響とみられる乱気流に巻き込まれた。
その時、ベランダに干していた洗濯物の取り込みをすっかり忘れて出て来てしまったことを思い出した。

そして5時間半ものトランジットを持て余していたことも重なり、私はすっかり悲観主義を患ってしまった。

悲観主義に陥ると、負の連鎖で更に症状が悪化しがちなのである。

深夜0時過ぎにスリランカコロンボ空港到着。
4月のテロの影響か、はたまた元々厳しいのか、入国審査に思いの外時間がかかり、両替終えてSIMカードを購入すると0時40分ぐらい。

予約したホテルに電話をかけてピックアップをお願いする。
10分程で来るとのことで指定された場所で待っていると、程なく一人の青年が声を掛けてきた。
スマホでホテルのバウチャーを見せると着いてこいとのこと。何も疑わずに着いていくと、airportという単語だけが同じの、全く違うホテルに連れてこられたのだ。
と同時に正しいホテルのスタッフから「空港着いたけど何処にいる?」と電話が掛かってきたのであった。

私をピックアップした誤ったホテルのドライバーが文盲なのか超適当な性格だったというのも知るよしも無かったが、正しいホテルのスタッフが方向音痴でGoogleマップすら使っていないというのも大誤算だった。

誤ったホテルのオーナーと、正しいホテルのスタッフの間で何度も何度も電話が交わされ、彼が漸く迎えに現れたのは私が誤ったホテルに到着してから実に1時間も後の事だった。

そして、私を乗せた車は一路正しいホテルに向かったのだが、更なる誤算は空港に向かう道路が軍によって閉鎖され、通行が許されなかったのである。
これは明らかにテロの影響だろう。

Googleマップを持たない彼は、道に迷う度に、深夜の街にたむろする怪しげな少年達に道を訊ねながら、ようやくホテルに到着したのは現地時間深夜2時半。
日本時間は朝の6時である。

そして彼はドライバーではなく、その一軒家を利用した民宿のオーナーであった。
駄目元だ試しにビールは飲めるかと聞くと、ここにビールは置いていないし、店は勿論開いていないとのこと。
それはそうだろう。

アルコールを飲まねば眠れない質の私は、結局その夜なかなか寝付けず、3時間程しか眠れなかった。

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翌朝、「スリランカの典型的な朝食」を用意してもらった。
名前は忘れたが、米で作った麺と、カレーがメインである。
どういう仕組みが知らないが、麺は精巧に編み込まれた餃子の皮のように、一枚一枚剥がすことが出来る。要は手掴みで食べるスリランカの食事事情にあわせているということだろう。

味も、料理が冷めているところも、なんだかミャンマーによく似ていた。
悪くはないが、好みではない、といったところ。

そしてバスでアヌラーダプラという古都に向かう私を、そのオーナーが車でバスターミナルまで送ってくれるという。

その車中、オーナーのホンダ車の純正カーナビ及びカーステシステムの表記を、英語に変えてくれないかと頼まれた。
色々操作した結果、そのシステムは日本語表記しかないようだった。
私がそう告げると、いつか日本人の客がきたら頼もうと思っていたのに、と残念そうだった。
私が冗談で、「日本語勉強した方が良いかもね」と言うと、なんと突然彼は「私は6年間日本に留学していました。」と流暢な日本語を話し始めたのだった。
私の酷い英語よりも彼の日本語方がより実務的で、なんだよ、だったら昨夜も日本語で会話していたらもっと色々な物事がスムーズにいったじゃないか!と逆ギレに近い心境になっていた。

そう、空港で私が電話した時、既に事前のメールのやり取りで、彼は私を日本人と認識していたのである。

スリランカの洗礼に言葉を失いつつ、私はバスに乗り込んだ。