令和元年初坊主・・・5/19野毛屋

やぁ、みんな( ・ω・)ノ
ボク、令和元年初坊主君だよ!

前日に令和元年初法事があり、帰宅が遅れてその結果として翌朝は寝坊、折角真鯛釣りの用意は万端に整えていたのに。

最近横須賀沖真鯛は、いや、ここ数年ノッコミの時期の横須賀沖真鯛は絶不調が続いており、もしかしたらこれは神がボクに与えてくれた休息なのかもしれない。
しかし、悩ましいことに、常宿・野毛屋は午後タイラバ船なる半日船を出しているんだよなぁ~。
厳しい種目で短い実釣時間、これは、ま・さ・に、令和元年初坊主君にはうってつけの釣りではないか!

船は定時10分前に出船。
しかし写真も撮らずにTwitterにもアクセスしないのは釣りに集中しているから。
ではなく、スマホを忘れてしまったのだ。
参ったなぁー。スマホ忘れるとろくな釣果にならないジンクスがあるんだよなー。
しかしそのジンクスは所詮平成の時代の昔話、元号が変わったとなれば令和元年初坊主君には何の関係もないのである。

6人の客と中乗りエストシ君(仮名)で竿を出す。
最初のポイントは浦賀航路4号ブイ周りの40mダチ。
怪しい底反応が有ったみたいなのだけど、底から5~6mラインはアカクラゲの絨毯状態、経験的に言ってテンヤなら勝負になるかもしれないけど、この状況ではタイラバは絶望的なんだ。
ボク以外のテンヤ釣師は皆釣って、船中一人だけ坊主を喰らった苦い思い出が甦るなぁ。
ま、あれは平成時代の話だけどね。

何度か筋を変えて流すも何処もかしこもアカクラゲ、ルアー落として巻き始めるとアカクラゲ、巻き上げてルアーに付いた触手を洗い流してルアー落として巻き始めるとまたアカクラゲ
...ギブアップ。

船長も諦めて南下し、70mからかけ上がるポイントへ。
おっ!ここはアカクラゲが少ないぞ!
真っ直ぐな上げ潮が流れ、潮も適度な濁り、これは釣れる気がする!

と、直後に右隣に釣座を構える中乗りエストシ君(仮名)にヒット!
竿を叩くその引きは、本命のようだったのだが。
何で急に過去形になったか分かるかい?
それはね、バレてしまって姿を確認出来なかったからなんだ。
中乗りエストシ君(仮名)にとって幸いな事に、この船にはキャプテンUGは乗っていない。
バラしたエストシ君(仮名)にウエスタン・ラリアットをお見舞いするという暴挙に出たキャプテンを見て恐怖にうち震えたボクだけど、優しいお兄さんのトシ船長はため息をつくだけだ。

と、そんな状況を微笑ましく見ていたボクに強烈なアタリ!
そしてフッキング~!(エド・はるみの平成時代のネタだよ)
巻いた以上に糸を出されて浮かせる事が出来ない。

令和元年初良型、キタ━(゚∀゚)━!

感触的には2kg前後。
釣趣と食趣の両立した、まさに横須賀沖ブランド真鯛のはずだったんだ。
ん?何で急に過去形になったのかって?もう鈍い君にも分かるだろう?
それはね、バレてしまって姿を確認出来なかったからなんだ!
令和元年初バラシだ!
悔しくて天を仰ぐ。少ないチャンスをものに出来なかった不甲斐なさに言葉もない。
バラして痛む心の傷に塩を塗るかのような罵声を浴びせる怖いキャプテンが乗っていないことをせめてもの不幸中の幸と思うことにしよう。
しかし仕事キッチリのトシ船長は無線で一部始終を報告、ボクは無線越しに怒られてしまったんだ。

その後はアタリなく16:30に沖あがり。
船中は三回ヒットして800g1枚という低調だったのさ。

令和の令は零を彷彿させるから、嫌な語感だと思ったんだよね。
これを機にベジタリアンに宗旨替えしちゃおうかな?
なーんちゃって!
おっと、これは平成どころか昭和の時代の古臭いギャグだね。

じゃあみんな、次の元号になるまで令和元年初坊主君は姿を隠すよ。
改元までお互いに生きていたらまた会おうね!


【釣果】
12時20分出船、16時30分沖揚がり

【タックル】
ロッド:ZENITH零式 LIGHT G-TOP L

リール:DAIWA RYOGA BAY JIGGING C1012PE-HWL
ライン:PE0.8号、リーダー:フロロ4号

【本日の総括】

イメージ 1


令和元年初バラシ。
令和元年初坊主。

チャンスがあった分だけ悔しさもひとしお。
やはりこの時期の横須賀沖真鯛は殊更に厳しいのであった。

そして、良型真鯛のバラシというのは、何度味わっても悔しいものである。

これが2019年4度目の真鯛釣りだったわけだが(少なっ!)ここまでそれぞれ1枚ずつ釣って、バラシはなし。
つまり今年の私の傾向として、真鯛釣りにおいては1日1回しかアタリがないということだ。
それを獲るか逃がすかの勝負だ。
本当に凄まじい釣りだね、真鯛って。

反省しつつ(60mとかの深目のポイントで掛かった真鯛をバラシにくくするアクションがあるのを忘れていた)リベンジを何時にしようかと思案しながら(私の真鯛釣りは果てることがない)首都高走って帰り道、MOGWAIの哀愁楽曲を聴きながらベイブリッジを渡っている時に、見事な夕焼けに包まれた。
その瞬間、胸が張り裂けそうな、とうてい言語化出来ない感情に支配された。
それは哀しみ含有率よりは多幸感含有率が多い、不思議な感覚だった。

これですよ、これ。
美とか愉悦というものの本質は、言語の範疇外にあるものだ。
釣りもまた然り。

私の日常は、主に言語化することで出来ている。
しかし、言語の限界を知ることで、言語はより深みや重みや鋭さを獲得するものでもある。

釣れない釣りに行くぐらいなら、家でおとなしくしていればいいのに、という考え方もあろう。
しかし、釣れないことも釣りの一部だ。
魚種や釣方が釣りの多様性だとしたら、空っぽのクーラーを携えて帰る空虚さこそ釣りの普遍性だ。
そうだろう?

と自己正当化しつつ、次頑張る。