無愛想、不愛想。・・・喜楽(渋谷)

哀愁の休日出勤、日曜日。
現場入りする前に、百軒店の喜楽で腹拵え。

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無愛想な親父が、無愛想にビールを運んでくる。
キリンラガー、中瓶。
無愛想な親父との親和性は高い。
この手の親父にはアサヒとかサントリーは似合わないのである。

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オーダーはいつものもやしワンタン麺。
無愛想な親父に無愛想に指で示されたカウンター席に座る前に無愛想な声で「何にしましょう?」と唐突かつ無愛想に問われると、考える余裕なくいつものメニューが口から出て来てしまうという事情もある。

旨い。
シューシューと謎の音を発しながら鍋を振っていた名物親父も、無愛想な親父に輪をかけて無愛想だったレジの婆も引退したのか死んだのかは知らないが、店から消えて相当経つ。
しかし、いかがわしい店の連なる百軒店で、最近は何故か外国人観光客も激増して様変わりしつつある百軒店で、変わることなく定番のメニューだけを愚直に提供し続けるこの店の有り様に、私は深く感じ入るものがあるのだ。
諸行無常に抗うかの如く、頑なに伝統を守る姿勢は悪くない。

そう考えると、無愛想な親父は愛想が無いのではなく、愛想を振り撒く必要がないだけなのかもしれない。
確かに、ハノイの老舗ブンチャー専門店、チェンマイの老舗カオソーイ専門店、台南の老舗牛肉湯店、これらの店も同様に愛想がなく、メニューは少なく、それでもいずれの店も地元の人にしっかりと愛されており、共通性を感じないでもない。

無愛想ではなく不愛想。
それを証拠に客のことはよく見ている。

ビールが無くなる寸前に冷たい水が出てくるし、水を飲み干すとすかさずお代わりが注がれる。

そんな店、これからも折に触れて世話になることだろう。