俺たちの暴走

幾つかある私の趣味の中で、恐らくは唯一決して独りでは成立しないもの、それがバンド活動である。

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土曜日の昼からロートル集団が集まり掻き鳴らす哀愁と激情と暴走。
表現とはある意味では自己内対話のツールでもあるわけだが、文章を書くこと、釣り(も時として表現足りうる)をすること以上に、バンドという形態は抽象度と自由度が高いが故に、より深い自己内対話のツールだなぁ、と思う。

言語化出来ない感情が音と一致したときのカタルシスたるや!

自己内対話を表現に昇華する触媒として、また、技術と素材のハイブリッドとして、楽器と釣具には相似点が多いような気もする。
要はいずれも愛着の湧く対象なのだ。

釣りに行かないとき、音を出さない時、いずれの竿も私の家のオブジェ、つまり展示物として有効に機能し、私を和ませてくれたりもする。

一方で何の魚も釣れなかった時、思い通りに弾けなかった時、それは憎悪の対象にもなりかねないのだけど。

愛憎とは同じ概念の裏表ですからね。