旅読書・・・七帝柔道記

好きなことだけをして生きたい。
しかし好きなことだけをして生きることはできない。

私は好きなことを現金化する術を持たず、一方で生きるためには金が必要で、更に好きなことをするためにはそれ以上の金が必要だからである。

だからこれ以上趣味を増やす余裕が無い。
手持ちの趣味で手一杯なのである。
むしろ趣味を厳選して減らしているような気分ですらある。

そんな訳で、読書も趣味から削除されたもののひとつと言えそうだ。
暇と自分を持て余していた若い時分には読書とパチンコぐらいしか趣味のなかった私だが、休みの日に、もしくは仕事を終えて帰宅してから、腰を据えて本を読むことは最早ない。
やりたいことと、やるべきことは、無限にある(と思われる)。

本を読むという行為自体は習慣として残っており、通勤電車で日常的に本には触れているけれど、文庫本で500頁を超えるような長編や、集中力を要する重い小説はなんとなく避けてしまう。

しかし、そんな私も旅に出ると趣味としての読書を取り戻すのである。
一人旅の時は勿論、出張の際も含めて、あらゆる私の旅は全て本選びから始まる。

それは先日の我々のバンドメンバーによる聖地巡礼の旅とて例外ではない。

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前置きが長くなった。

積読の山からこの旅用に私が選んだのがこの増田俊也著「七帝柔道記」であった。
移動時間が長いとは言え、1泊2日では読み終えることが難しいと思えるその適度なボリュームだけで選んだ。

どういう経緯で積読の山に加わっていたかすら覚えていないこの本を、羽田発新千歳行きのスカイマーク機の中で開くと、それは札幌駅の描写から始まった。

物凄い読書体験になるであろうことをこの瞬間に確信したが、果たしてその通りだった。

落涙を我慢するためにしばしば本から目を離して歯を食いしばりながら、私は頁を捲り続けた。

この旅で、つまりは仲間と北海道へ旅する時のお供として、これ以上ない程に適した奇跡の1冊だった。

必要に駆られる読書もある。
読んでおくべきという動機の読書もある。

しかし読書が趣味足り得る為には、こういう純粋に衝撃的な読書体験を数多くすることによってしか…

何だかよくわからなくなってきた。
時間もない。間もなく船が出るのだ。

とりあえず2018年4月8日現在、読書は私の趣味のひとつだ。
さて、港に向かおう。


平塚にて。