俺達の暴走・・・スタジオペンタ(渋谷)

最近何を読んでも、何を聴いても、全く面白くない。
習慣からなんとなく読んだり聴いたりしていても、心は活字を追うことからも音楽を聴くことからも遠い毎日である。

無意味で単純な反復行為とは慣れを生み、人の心を麻痺させるものだ。
最近、私を取り巻く環境は創造的とはかけ離れ、無意味の連続と反復によってほぼ占められているような気がする。
黄色信号の点灯だ。

ところで優れた作品とは、それが文学であれ音楽であれ、慣れや反復とは究極の対極に位置するものである。
表現にとって麻痺とは唾棄すべき敵であり、見方によっては優れた表現とは麻痺からの覚醒を促すことを目的としたものであるとも言える。

私は私の意思によって前を向かなければならない。
それが麻痺や慣れを遠ざけることとなる。

釣りはせいぜい月に2回、となると釣りよりもプライオリティの低い好きなことは更にも増して疎かになり、ジョギングは月イチペース、自己研鑽の為の通信口座はもう、3ヶ月もテキストを開封すらしていない。

虚しさを埋めるように増える酒量とラーメン。
デカダンスの背徳的な耽美感とは若さの特権であり、残り時間が気になり始めている私には、そんなものと関わっている余裕は無いのだ。

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改めて私が思ったことは、持つべきものはバンド仲間である。

どんなにレベルが低かろうと、曲を作り、歌詞を書き、演奏することとは、創造的なエネルギーに充ちた行為だ。
そして、とある方の形見分けとして手元にやって来た全く鳴らない厄介なベースも、ようやく鳴らし方がわかってきたような気がする。

オリジナル曲に加えて大好きな曲のカバーも交えてみっちり5時間。
穏やかな春の晴れの日、釣りに行くことは叶わなくても、楽しくて味わい深いスタジオであった。