ドストエフスキー・グルーヴ

私が旅に出る理由の30%程を担っているのが読書を心いくまで楽しみたいという欲求であり、とりわけ日常生活ではなかなかに没頭することが難しい長編小説を楽しむためには、海外一人旅ほど絶好の機会はない。

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GWのベトナム旅行に私が持っていったのはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟光文社古典新訳文庫版である。

学生時代に私が崇拝していた村上春樹の小説に引用されていたことから、私は学生時代に幾度かこの難敵に挑んだのだが、全くその小説世界に入り込むことが出来ずに悉く挫折した。

賛否両論ある光文社古典新訳文庫も長らく積ん読状態にあったのだが、機は熟したとばかりに意を決して今回の旅のお伴に選定したのである。

結果的に言えば、興奮冷めやらぬ素晴らしい読書体験であった。

時代も違えば国も違う、文化も言語も時代背景も違う文学ながら、私が感じたのは時間の洗礼と物理的な距離と精神的な差異を超越した猛烈な普遍性であった。

対立する概念が対決するときの双方の正しさ、この視野の広さと視点の高さは何事だろうか?多声性、一貫性、布石と回収、思わず吹き出してしまうようなユーモアまで、とにかく小説という表現形態のありとあらゆる魅力が詰まったような作品であった。

この翻訳の猛烈な批判も結構目にしたけど、挫折続きだった私にこの小説世界を道案内してくれた光文社古典新訳文庫を私は猛烈に支持する。

下地も出来たことだし再読もしたいし翻訳の違いによる解釈の違いも気になるところ、次は新潮文庫版を読んでみよう。