三択ロースの残りもの・・・12/11庄三郎丸
師走も三分の一が経過し、いよいよ2016年も秒読みという現状は、私には恐怖すら感じるスピード感である。
こんなにも月日の経つのが速いなら、私の寿命が尽きるのもすぐだと考えざるを得ない。
「いつかやりたい」
「いつか行きたい」
などと悠長なことを言っている暇はない。
やれるうちにやりたいことを、行けるうちに行きたい場所へ。
それは楽しいことばかりでなく、学びたいことや成し遂げたい仕事だって同じことである。
つまらない仕事は不可避であっても、つまらない人間との関わりは積極的に排除しよう。
やりたいこと、行きたい場所、会いたい人、それらをリスト化するまでもなく、残り時間はあまりにも短い。
真鯛に行きたい気分であったが、この釣りも私の釣りポートフォリオを構成する重要な種目であることを考えると、一度は行っておく必要がある。
庄三郎、アマダイ船。
私が産まれて初めてアマダイを釣った、寡黙なイケメン船長が操船する22号庄三郎丸。昨シーズンは何故かライトウィリーを担当していた為に、この船でアマダイを狙うのは実に久し振りである。
この船で、LTで、手巻きでアマダイを狙うことに個人的な意味がある。
全船7時出船の冬時間。
朝日は出船間際になってようやく昇ってくる。
乾燥して澄んだ空気、冠雪した富士山が間近にくっきりと見えるのも冬の平塚の魅力のひとつ。
しかしこの日は思いもよらない二つの敵に苦しめられることとなった。
ひとつは仕立船が複数入り配船の都合つかず、22号船は片舷12人の大盛況でオマツリが多発したこと。
もうひとつは最近の乾燥した空気にやられて調子の悪かった鼻が花粉症のピーク時並み大発作を起こしたことである。
目の痒みもあり、乾燥というよりは何らかのアレルギー反応であった印象だ。
結果的には集中力、気力、ともに皆無の雑な釣りとなってしまった。
オモリ40号に道糸1.5号の細いラインに先調子ロッドの繊細かつ敏感なタックルで、誘い上げの小さなアタリを捉えて掛けるのがこの釣りの醍醐味なのだと私は思っているのだが、竹岡のスレたカワハギにツンツルテンにされるが如くアタリすら分からずエサを取られること多発。
無駄にする時間など無いと誓った端から己の未熟さ故に時間の無駄遣いをしているというアイロニー。
まだまだ修行が足りないようだ。
ほぼ終日平塚沖の浅場を攻めていたイケメン船長、ラスト1時間でようやくジャンボアマダイのメッカ、瀬の海へ!
まぁこの人数乗っていたら、賢明な攻め方だろう。
イケメン船長はクールな見た目と裏腹に、熱い心と高いホスピタリティを有していることを私は知っている。
口数がキャプテンUGの22分の1しかないので分かりにくいのだが、何度か通っているうちにその事に気付く。
「良い船長の船に乗る」ことも船釣りの楽しみのひとつだ。
その瀬の海100mダチのポイントで、この日最大の37cmを釣ってなんとか溜飲が下がった。
その直後に5人を巻き込む修復不能なオマツリに見舞われて完全に心が折れ、15分早く納竿。
この先の厳寒期、物好きしか釣りをやらない時期ならではの空いた船で改めてジャンボアマダイを狙おう。
予定では年明けからのスケジュールはかなり余裕があることになっている。
本番は次回である。
【釣果】
7時出船、14時20分沖揚がり
アマダイ4尾
外道:ガンゾウビラメ、トラギス
【タックル】
ロッド:アルファ・タックル・エアボーンスティック30T-200
リール:SHIMANO SPEEDMASTER201
ライン:PE1.5号
【本日の総括】
空いた船でのんびりと糸を垂らし、あわよくばしゃぶしゃぶサイズのジャンボを一本!という目論みは全て崩れ去り、精神的にも肉体的にも試練のみの釣りとなってしまった。
疲労困憊、精も根も尽き果てた感じだ。
かんでもかんでもキリの無い鼻水、アンストッパブルなくしゃみ、やがては酷い頭痛へと発展、まさに花粉症のピーク時を彷彿させる大発作が何故起こったのだろうか?
晩秋から初冬にかけて微量の杉花粉が飛ぶことは知られているが、この日折からの強い北風に煽られて丹沢の山々から花粉が運ばれてきていたのかもしれない。
途中から両方の鼻をティッシュを詰めて塞ぎ、その上からマスクで蓋をするという悲惨な対症療法で凌いでいたので上手く喋ることが出来ず、オマツリの時にかなり失礼な対応になっていたような気がする。
スイマセン、悪気は無かったんです!本当です!
さて、揚げ物は原則禁止のワタクシですが、小型のアマダイはこの手抜き料理が一番旨いと思う。
ハーブ岩塩と小麦粉まぶして松笠揚げ風。
ビールと合います。
37cmの中型は浅締めの昆布締めで芋焼酎と共に頂いた。
久々に食べるアマダイは間違いの無い旨さだった。
手帳とにらめっこすると今年釣りに行けるのもあと1,2回というところだろう。
2016年を総括すると、休日出勤の年、というなんとも不格好な一年であった。
せめて有終の美は飾りたいところである。
さて、何に行こうか?
こんなにも月日の経つのが速いなら、私の寿命が尽きるのもすぐだと考えざるを得ない。
「いつかやりたい」
「いつか行きたい」
などと悠長なことを言っている暇はない。
やれるうちにやりたいことを、行けるうちに行きたい場所へ。
それは楽しいことばかりでなく、学びたいことや成し遂げたい仕事だって同じことである。
つまらない仕事は不可避であっても、つまらない人間との関わりは積極的に排除しよう。
やりたいこと、行きたい場所、会いたい人、それらをリスト化するまでもなく、残り時間はあまりにも短い。
真鯛に行きたい気分であったが、この釣りも私の釣りポートフォリオを構成する重要な種目であることを考えると、一度は行っておく必要がある。
庄三郎、アマダイ船。
私が産まれて初めてアマダイを釣った、寡黙なイケメン船長が操船する22号庄三郎丸。昨シーズンは何故かライトウィリーを担当していた為に、この船でアマダイを狙うのは実に久し振りである。
この船で、LTで、手巻きでアマダイを狙うことに個人的な意味がある。
全船7時出船の冬時間。
朝日は出船間際になってようやく昇ってくる。
乾燥して澄んだ空気、冠雪した富士山が間近にくっきりと見えるのも冬の平塚の魅力のひとつ。
しかしこの日は思いもよらない二つの敵に苦しめられることとなった。
ひとつは仕立船が複数入り配船の都合つかず、22号船は片舷12人の大盛況でオマツリが多発したこと。
もうひとつは最近の乾燥した空気にやられて調子の悪かった鼻が花粉症のピーク時並み大発作を起こしたことである。
目の痒みもあり、乾燥というよりは何らかのアレルギー反応であった印象だ。
結果的には集中力、気力、ともに皆無の雑な釣りとなってしまった。
オモリ40号に道糸1.5号の細いラインに先調子ロッドの繊細かつ敏感なタックルで、誘い上げの小さなアタリを捉えて掛けるのがこの釣りの醍醐味なのだと私は思っているのだが、竹岡のスレたカワハギにツンツルテンにされるが如くアタリすら分からずエサを取られること多発。
無駄にする時間など無いと誓った端から己の未熟さ故に時間の無駄遣いをしているというアイロニー。
まだまだ修行が足りないようだ。
ほぼ終日平塚沖の浅場を攻めていたイケメン船長、ラスト1時間でようやくジャンボアマダイのメッカ、瀬の海へ!
まぁこの人数乗っていたら、賢明な攻め方だろう。
イケメン船長はクールな見た目と裏腹に、熱い心と高いホスピタリティを有していることを私は知っている。
口数がキャプテンUGの22分の1しかないので分かりにくいのだが、何度か通っているうちにその事に気付く。
「良い船長の船に乗る」ことも船釣りの楽しみのひとつだ。
その瀬の海100mダチのポイントで、この日最大の37cmを釣ってなんとか溜飲が下がった。
その直後に5人を巻き込む修復不能なオマツリに見舞われて完全に心が折れ、15分早く納竿。
この先の厳寒期、物好きしか釣りをやらない時期ならではの空いた船で改めてジャンボアマダイを狙おう。
予定では年明けからのスケジュールはかなり余裕があることになっている。
本番は次回である。
【釣果】
7時出船、14時20分沖揚がり
アマダイ4尾
外道:ガンゾウビラメ、トラギス
【タックル】
ロッド:アルファ・タックル・エアボーンスティック30T-200
リール:SHIMANO SPEEDMASTER201
ライン:PE1.5号
【本日の総括】
空いた船でのんびりと糸を垂らし、あわよくばしゃぶしゃぶサイズのジャンボを一本!という目論みは全て崩れ去り、精神的にも肉体的にも試練のみの釣りとなってしまった。
疲労困憊、精も根も尽き果てた感じだ。
かんでもかんでもキリの無い鼻水、アンストッパブルなくしゃみ、やがては酷い頭痛へと発展、まさに花粉症のピーク時を彷彿させる大発作が何故起こったのだろうか?
晩秋から初冬にかけて微量の杉花粉が飛ぶことは知られているが、この日折からの強い北風に煽られて丹沢の山々から花粉が運ばれてきていたのかもしれない。
途中から両方の鼻をティッシュを詰めて塞ぎ、その上からマスクで蓋をするという悲惨な対症療法で凌いでいたので上手く喋ることが出来ず、オマツリの時にかなり失礼な対応になっていたような気がする。
スイマセン、悪気は無かったんです!本当です!
さて、揚げ物は原則禁止のワタクシですが、小型のアマダイはこの手抜き料理が一番旨いと思う。
ハーブ岩塩と小麦粉まぶして松笠揚げ風。
ビールと合います。
37cmの中型は浅締めの昆布締めで芋焼酎と共に頂いた。
久々に食べるアマダイは間違いの無い旨さだった。
手帳とにらめっこすると今年釣りに行けるのもあと1,2回というところだろう。
2016年を総括すると、休日出勤の年、というなんとも不格好な一年であった。
せめて有終の美は飾りたいところである。
さて、何に行こうか?