my dirty boots
川崎の中山丸のショートアジ船を降り、実家へアジのお裾分けに寄り、帰宅後道具を洗って魚の下処理を終えてシャワーを浴びてもまだ夕食には早い時間だった。
八景の某キャプテンのように納得出来るまで粘る姿勢も好ましいけど、時にはこのようなあっさりとした釣りも良いものだ。
余った時間を有効活用すべく、久し振りにブーツの手入れを。
夏場に短パン着用する際にはサンダルや稀にスニーカーを履くこともあるけど、基本的に季節を問わず仕事もプライベートも海外放浪する時も冠婚葬祭でさえもレッドウイングかドクターマーチンしか履かないような生活をかれこれ15年ぐらい続けている。
ブーツに慣れるとスニーカーは無防備な気がして落ち着かない。
レザーソウルの革靴なんて、安定感無くて怖くて履いていられない。
私は靴にも服装にもさしたる関心はない。
着たいものを着るというより、着たくないものは身に着けないという感覚だ。
おかげで年中似たような格好だ。
トレンドなどとは無縁である。
「テーマが明確だと融通さが不足するんだ」とは村上春樹の小説の中の台詞だが、私もある種の頑迷さを補強しつつあることを自覚しており、それは見方によればとても面倒臭いのかもしれない。
しかし自分としてはとてもシンプルになってきているという実感がある。
シンプルであることは生きることの困難さを軽減する効果がある。