依存…浜(金沢八景)

食事、特に夕食はアルコールと一緒に頂くと旨さが何倍にもなる。
アルコールは人生を豊かにするスパイスである訳だが、同時に酔った状態は頭の働きを鈍くするので人生を損なう毒でもある。

本質的に私は暗い人間である。
自らの存在のおぞましさから逃れる為のツールとして、アルコールは非常に有効であった。
おまけに成人さえしていれば、いくらこの毒を摂取しても「自己責任」という名のもとに合法なのである。

一方でアルコールに酔って鈍化した脳は、私の限りある人生の時間を無為に奪うこともまた事実。

読みたい本も追えないし、書きたい文も紡げずに、害悪を撒き散らすのみである。

自己否定の自家中毒に陥ってアルコールに溺れ死神にロックオンされていた時期があったのだが、3・11の震災とその後の福島の事故をきっかけとして私は覚醒した。
覚醒を促すに足る出会いがあったことも運命であろう。

自らの存在のおぞましさは変わらなくても自分自身を受け入れる度量を得て、私は“社会的存在である私”と“本質的存在である私”が一体化したかのような初めての感覚を得た。
恐らくはこれが健全な自己愛というものなのだろう。

自らの存在のおぞましさは変わらないから朝から酔ってしまいたい欲求が無くなった訳ではない。
しかし健全な自己愛の獲得を経て、義務をこなす為ではなく自分の為に素面でいる時間も愛おしくなった。

そんな訳でとりあえず私は釣船の上では一切アルコールを摂取しないことにした。

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しかし午前船と午後船の狭間に港近くで摂る昼食においては、特にアルコールを禁じる理由はないのであった。
ところで「ないのであった」という表現は日本語として正しいのだろうか?
既に酔っている私には冷静な判断力がとっくに失われている。

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ちなみにオーダーはサンマー麺、大盛り。

金沢八景の港近くの中華料理屋でオーダーするなら、これに勝るメニューはないだろう。