正気と狂気の分水嶺

世間一般的によくあるケースなのかも知れないけど、「口は出すけど責任は取らない」というタイプの人間が役員だと現場は大変である。

特に中間管理職にとっては厄災以外の何物でもない。

おまけに今は梅雨真っ只中、気温も湿度も高くて不快指数はMAX、壊れやすい41歳本厄のガラスのハートは粉砕寸前な訳です。


そんな会社からの帰り道、一人でフラっと入れる立ち飲み屋は本当の意味での心のオアシスだ。
可処分所得の少ない哀しみのヒューマン・キャトル、サラリーマンのお財布に優しい立ち飲み屋、流行る理由もよくわかる。

そして流行るが故に競争は熾烈になり、結果洗練された店のみが生き残ることとなるのでハズレが少ない、これもまた立ち飲み屋の魅力と言えよう。


元々一人で飲む事は多かったけど、その殆どは家飲みだった。

しかし不快指数MAXのままいきなり家飲みに突入するといささか飲み過ぎる、というか泥酔することが多く、これは心にも身体にも良くないと気が付いた。

軽く立ち飲み屋で一杯引っ掛けてから帰れば、いくらか気も晴れる。

そんな訳で最近は日課のように立ち飲み屋へ寄っている。
立って飲むから長居もせず飲み過ぎることもない。酒飲みにそぐわない言葉だけど、なんとなく健康的だ。


前置きが長すぎた。

立ち飲み屋の中の我がホーム・グラウンドとも言うべき蒲田の豚番長が、「シャリキン・ホッピー」なるものを始めた。
イメージ 1


これは同じ蒲田の「立ち飲みとっちゃん」ではフローズンホッピーという名で提供されているもので、冷やしたホッピー、冷やしたグラス、凍らせたキンミヤ焼酎という組み合わせが奏でる至極のハーモニーである。
元祖フローズンの赤羽の米山ではグラスは常温で提供され、キンミヤではなくホワイトリカーを使用している為、似て非なる飲み物だ。
いずれにせよ、蒸して、暑くて、苛々するこの時期に最高の飲み物である。


そしてこの日はハツの良いのが入ったとのことで、刺身で貰った。
イメージ 2


言うまでもなく旨かった。


旨い酒とツマミに舌鼓を打ち、店員や周りのお客さんと他愛のない話しをしていると、何とは無しに気分が解れるのだった。


「世界を変える事が出来ないのなら自分を変えろ」と歌ったのはTHE THEのマット・ジョンソンだったっけ。
俺は世界を変える事なんて出来ないけど自分を変えるのも嫌なので、自分なりの折り合いのつけ方を捜し求めて足掻いている。
正解は無くても、納得出来るか否かが問題なのだ。

そういう意味では良くも悪くも結果が出るから釣りは明快で最高であると同時に、ギャンブルのように危険だ。

まあ最近は悪い結果しか出ていないのだけど…。