死生観・・・ラーメン大 本郷三丁目店

昔ある作家が“小説を書くという行為は本質的に不健全なものだ”というような趣旨の事を書いていた( のを読んだ)。

“無から作品を作る”というこの上ない創造的な作業が、何故本質的に不健全なのか?
当時学生だった俺には全く理解できなかった。

しかしこうしてブログでお気楽な釣り日記を書いたり、仲間と組んだ高校生以下レベルのバンドで曲を作ったりというアマチュアの中でも“下の下の下”くらいな拙い創作作業を行っている中でも、ほんの時折“不健全な魂”の存在を強く意識することがあることに気が付いた。

創作とは(あくまでも俺の場合だが)言葉に出来ない思いや感情を、音や文章に置き換えるという作業である。
歳を重ねるにつれて言葉に出来ない思いというモノは蓄積する一方なので、その“思い”を正確に表現する音や文章を見つけることは不惑を過ぎた身には非常に困難を伴う。

そしてその“見つける為に探す”という行為は、自分の魂と対峙するという事に他ならない。
忘れたい事、目を背けたいこと、逃げ出したいこと、そんな全てを引っくるめて己と向き合うというのは、やはり相当な不健全な作業なんだと思う。

ましてやそれがプロの仕事ともなれば、その困難と闇の深さはとんでもない次元なんだろうなあ。

それ故に優れた小説や音楽には、どことなく死の影や匂いがつきまとうものが多いような気がする。

死生観。


宗教だって哲学だって根本はここから始まっている。音楽も小説も同じだ。


…。


最近仕事で“病んだ不健全な魂が創り上げた美しい作品”とでも言うべきものと日々向かいあっている。
それは感動的であると同時に非常に重いものを背負った仕事で、ここ3週間程俺の頭から“死”が離れなくて本当に困っている。

退社時刻が遅い日でも敢えて飲みに行くことも、忙しいながらも休みの日にはキッチリ釣りに行くことも、俺なりにバランスをとるための重要な儀式なのだ。

さて、そんな精神状態の時にはバカバカしい食事を摂ることだって自己療養へのささやかな試みになりうる。

で、仕事の合間の夕食、ラーメン大本郷三丁目店へ突入!
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ラーメン、豚、魚粉、野菜マシ、ニンニク

提供された時点でスープは溢れ、野菜は崩れていた。
この馬鹿さ加減が本当に最高だ!

野菜がクタクタ、豚はパサパサ、この日のラーメンは少しハズレを引いてしまったようだが、それでも旨いことは旨いし、何より過剰な摂取がもたらす達成感が俺を元気にする。

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さあ、もう少し頑張ろう。
ダメになったらまた考えればいいだけのことだ。