研鑽と息抜き・・・酒場ふくろ(池袋)

自己研鑽が仕事の何に役立つのだ、と叱責的なニュアンスを含みつつ問われた時には、愕然として呆然とした。

最後は人に尽きるのが、仕事の(特に我々の業種においての)本質である。
スタッフの、従業員の、ひとりひとりのスキルが上がれば、当然それは会社全体にとってプラスであるはずだろう。

我々はロボットではないのである。
会社での働きにプラクティカルな部分だけが求められるのだとしたら、そんなものは仕事ではなくて単純作業に過ぎないではないか。

なんて綺麗事をぬかして、徒手空拳的な我が自己研鑽を正当化しようという意図は多分無いのですよ。
砂漠に水を巻くことだって、焼石に水を掛けることだって、100%の無駄ということはないと信じる。
要は意思の問題なのだ。

さて、件の徒手空拳で疲労した脳をクールダウンさせるべく、池袋の酒場ふくろへ吸い込まれる。

イメージ 1

口開けはいつもビール。

イメージ 2

イデア料理の鮭とばジャーキー。
ビールのアテに打ってつけである。

イメージ 3


イカわた沖漬けと海老水餃子。
これは旨いなぁ。
すいません、黒ホッピー!

身の丈に合う酒場に沈没して、私は表現について考え込む。
与えられたエンターテインメントに満足するなど鬼畜の所業ならぬ家畜の所業だ。


前なんて向かなくたっていいんだ、お前が前後を決めるんじゃねえ。
伏線なんて回収されなくたっていいんだ、トリックやら整合性は小説の魅力とは無関係だ。
大ヒット上映中?だからどうした、最大公約数であることを誇るな、むしろ恥じろ。

表現とは出会うもの、掴み取るもの。
時には縋るもの、そしてなくてはならないもの。

心穏やかに生きることは難しい。
しかし、怒りは創作の原動力でもある。
主体的に、創造的に生きよう。
研鑽の意味とか、表現と向き合うことを否定するとか、そんな輩の存在は会社を出た瞬間に忘れ去るのが得策だ。

思考の結論らしきものに辿り着いたので安堵して会計を済ませて店を出る。

地下鉄で座れたので酔った頭で本の続きを読むと、全く内容が入ってこない。

参ったな。
生きることは本当に難しいのである。