Irish blood, English heart

何がプレミアム・フライデーだよ、と白けた気分で渋谷、午後6時。

長時間労働の問題は私も体験的に理解している。
しかし社会問題というのは、社会自体が変わらなければ解決しない問題だとも思っている。何故ならば病巣は法にあるのではなく、病んだ社会にあるからだ。

actionは大事だ。しかしお上のお仕着せは恐らく無意味だ。

結局のところ私に出来る最大のことは、私自身が良く生きることしかないのだと思う。

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ギネスが沁みる。
ギネスとは文字通りアイルランドの血である。
また旅したいな。懐かしきアイルランドの風景は私の脳裡に焼き付いている。

店内BGMは何故だか途切れることなくThe Jamが流れている。
私の知らないベストアルバムだろうか?

The Jamは怒れる英国若者達の正義の心である。

そういえばJamなんて久しく聴いていなかったけど、なんて素晴らしいのだろう?
私は本も開かずスマホもいじらず暫しJamに聞き入った。
すると程なく私の一番好きなGoing undergroundがかかり、激しく心が揺すぶられた。

顔がカッコいい、服装がカッコいい、声がカッコいい、曲がカッコいい、歌詞がカッコいい、歌詞のメロディへの乗せ方がカッコいい、とにかく最高の一言に尽きる。

そういえば家にJamのCDってあったかな?
とりあえずipodとカーナビには早急に取り込む必要がある。

リリースから35年以上経っても変わらぬ普遍性がこの曲と歌詞にはある。
当時のポール・ウェラーの2倍以上の歳となっても私の琴線は震えまくる。

しかしポールはその後スタイル・カウンシル、そしてブルーズとR&Bに寄ったソロへと年齢と共に進化していった。
スノッブな匂いのするスタカンも、原点回帰したかのようなソロも私はあまり馴染めない。
ある意味では私がポール・ウェラーに置いてきぼりにされたのだろう。

しかし前の投稿で記した喜楽のような不変も、ポールのような年齢に応じた変遷も、そこに意志と覚悟があるならば、どちらも正しい。

私の中にも変わらない部分と変わり行く部分とがあるのだ。

なんか、良い気分だ。

私は気合いを入れて、現場へと向かった。