海の日・・・7/18野毛屋

消費増税の名の元に高速道路の値上げが行われたのは記憶に新しいが、今度は渋滞緩和の名の元に高速道路の料金見直しが行われ、第三京浜、横浜新道、横浜横須賀道路経由で野毛屋に向かうという馴染みのルートは実に高速料金だけで片道1390円も支払わされるようになってしまった。
気が付けば以前の5割増しじゃないか。

止むなく私は多少遠回りになるが羽田から首都高速で幸浦ICを目指すルートに変更した。
こちらは1170円。以前に比べて充分に高いが、それでも約2km遠くなったことにより余計に消費するガソリン代を補って余りある価格差がある。

そう言えば、いつの間にやら休日のETC割引率も50%から30%に見直された。

もしかして現政権や行政は、レジャーというものを害悪と見做しているのではなかろうか?

コミュニズムが幻想に過ぎないことを歴史が証明したように、私はまた平等という概念も幻想、或いは建前に過ぎないと認識している。
富が集中しミリオネアが増える一方、超低所得者層も増えるような格差社会は勿論歓迎すべきことではない。
しかし声高に格差是正だけを主張して実効性のある政策を打ち出せない野党にも同意出来ない。
格差を嘆いたり誰かのせいにするだけではなく、しっかりと不平等と闘う姿勢と知性も持ち合わせるべきなのだと信じている。

その上で私にとっての最重要事項は「QOL」の向上である。お題目のような福祉や、幻想のような格差是正は最早私には響かない。
国民の「QOL」向上を真っ先に公約に掲げる政党があれば喜んで支持するのだけど、具体的に目に見えないものを打ち出すのは難しいのだろうな。

そうそう、投票権が18歳に引き下げられた先の参院選で、10代が最も支持した政党が自民党であったという報道には心底驚いたし衝撃を受けた。
そこから20代、30代と徐々に自民党支持は減っていき、最も自民党を支持していないのがなんと50代。そこから60代、70代とまた支持率は上がっていく。

老人が保守化するのは理解できる。つまりそれはある種の感傷だ(それでも70代の方が20代より支持率は低いのだが)。

未来を担う世代は現政権を、政策を、これからやろうとしていることを、支持しているということなのか?

私にはわからない。

この先待ち受けているのは明るい未来ではなく、ディストピアなのかもしれない。

それでも私は真鯛を釣りに行く。
だからこそ私は真鯛を釣りに行く。

釣れてなくても東京湾真鯛に挑む。

高速が値上がりしたら少しでも安いルートを使って金沢八景に行く。

釣りに限らず、自分を自分たらしめるものを大事にする。

怒りを原動力に変えよう。
諦念や無力感とは距離を置く。

闘うキャプテンは今日も元気だ。

私は自分を信じてリールのハンドルをひたすらに巻く。

そして知る。

信じる者は救われるのだと。

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【釣果】
7時15分出船、16時沖揚がり
真鯛2枚(2.6kg、2.4kg)


【タックル】
ロッド:ZENITH零式 LIGHT G-TOP L 
リール:DAIWA RYOGA BAY JIGGING C1012PE-HWL
ライン:PE0.8号、リーダー:フロロ4号


【本日の総括】
ブログに駄文を書き連ねることにどれ程の意味があるかは分からないが、少なくとも備忘録としては有益である。

前回強風早上がりで帰港の途中、やはり同様に春先から不振が続いた3年前のシーズン、7月に東寄りの深場で大きな真鯛を釣った記憶があると私はキャプテンに話した。

そしてブログを調べると、それは2013年7月25日の釣行で、私は大根東側の航路ブイ周りの60~70mの深い場所で、3.9kgと2.3kgの良型2枚を釣ったのだった。

まさにその付近の場所で、私は5ヶ月ぶりに真鯛と対面した。

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2.6kgのメス。

底から12m程巻いてクラッチを切ったところでアタリ、慌ててハンドルを巻くとズドンときた。
こういうアタリってシーバスのことが多いのだけど、ゴンゴン頭を振る真鯛特有の三段引き。
非常に珍しいパターンで、待望の真鯛を釣り上げた。
思い出に残る1枚になりそうだ。

これだけでも充分に満足であったが、暫く間をおいて二度目のアタリ到来。

これは着底を確認して巻き始めたらいきなり食ってきて、これも恐らくはフォールに反応したのだと思われる。

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2.4kg、メス。

2枚合わせてジャスト5kgとなんとなくキリも良い。

この後大ドモのアングラーが3kgを釣り上げて、船中客7名+中乗りエストシ君(仮名)の8人で釣りをして6打数3安打。
バレた3枚もいずれも型は良さそうだった。

久しぶりに良型が出て気分を良くしたキャプテンも「こんな時間までやったのは久し振りだぞ!」と4時まで粘り、空は梅雨明けを思わせるように晴れ渡り、私の気持ちも久々に快晴であった。