水に似た感情

中島らもの小説に確かバリ島を舞台にしたものがあったはずだと調べてみると、それは「水に似た感情」であった。

バリ島の記憶新しい今、再読してみたいと思い本の山を漁るも見つからない。
私は昔から整理整頓の類いが苦手なのである。
その結果何冊もの同じ本や何枚もの同じCDがあったりする。
困ったものである。

ところでこの「水に似た感情」、恐らく2回は読んでいるはずなのだがストーリーを殆ど覚えていない。
いや、この本に限らず今までに読んだ多くの本のストーリーは殆ど覚えておらず、自分の記憶力には重大な欠陥があるようだ。

記憶に残らない読書に意味などあるのだろうか?と思わないでもないが、恐らく物語の世界を記憶するよりも物語の世界を通過して体験することの方が大事なのだ。

そして文章とは薄れ行く宿命の記憶を補うという役目も持っている。
それがブログの存在意義の一つである。

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さて、今回のバリ島旅行で最も記憶に残った料理がこのバビグリン。
豚の丸焼き混ぜご飯である。

柔らかい身にパリパリの皮、そして内臓。青唐辛子のようなスパイスもピリッと効いていて実に旨い。
牛肉湯を食べるためだけに台南を再訪したいように、バビグリンを食べるためだけにバリ島を再訪したいとすら思わせる。

そもそもイスラム国家であるインドネシアで豚肉料理が名物であるのも、イスラムの中の唯一のヒンズー圏であるバリ島ぐらいなものだろう。

そういえばインドネシア語の文字がアルファベットであることを意外な気持ちで受け止めていたのだが、インドネシア語とは共通言語として人工的に作られた国語であり、バリ島の人はバリ語、ジャワ島の人はジャワ語、ボルネオ島の人はボルネオ語といったように、それぞれの島・民族で、それぞれ固有の言語と文字を持っているのだと地元の人から教わった。

やはり我々人間は言葉に規定される存在だ。
異なる言語や文化や宗教を、共通言語が媒介となり一つの国家たらしめている。

バリで出会った人々は共通言語のインドネシア語によってインドネシア人としてのアイデンティティーを持ちながら、バリ語によって同時にバリ人としての矜持とアイデンティティーを持っているような印象を受けた。

実に興味深い。

次は釣りを主たる目的に行ってみようかな?