はまぐり(新宿)

この日は昔一緒に仕事をしたチームと、久々の飲み。
クリエイティビティ溢れる才能豊かな面子との飲みは、純粋に楽しい。

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貝が食べたいと言う女子メンバーのリクエストに応える形で予約したこの店、名物の生牡蠣は1個100円1人5個まで。

しかし決して安い店ではなく、むしろ生牡蠣以外は押し並べて高く、特にアワビステーキは6500円もした。

メニューも貝ばかりなので若い人達(私以外は20代と30代だ)の胃袋が充たされるはずもなく、その後は近くのイタリアンに雪崩れ込んでパスタやらピッツァやら。

スリランカでリセットされて糖質制限何処吹く風。

The Green Edge(ダンブッラ)~スリランカ旅行記

4月のテロが引っ掛かっていて、漠然とした不安のようなものがないでもなかったものの、予想を遥かに上回る楽しい旅となった今回のスリランカ一人旅。

多くの風景が目に焼き付いており、また、今回パスしたまだ見ぬ場所に思いを馳せると、また直ぐにでも行きたい気持ちが高まってくる。

ジョージアミャンマーアイルランドポルトガル、中国、ラオス
人の情けや優しさが身に沁みる国は数多あれど、スリランカ人のホスピタリティは図抜けていたような気がする(但しコロンボ除く)。

そして今回宿泊した4軒の宿の中で、忘れ得ぬ思い出となったのがダンブッラのThe Green Edgeだ。

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ダンブッラの街中から2km程離れた農地と森に囲まれた静かなロケーション。
平屋の建物に客室は僅かに4部屋。

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夕食も朝食も外のテーブルで頂く解放感。
日本語を話せるオーナーが日本で買い集めた風鈴がいくつも下がっており、田舎の親戚の家に遊びにきたかのようなリラックスした気分になる。

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広くて天井の高い部屋は、シンプルながらも凝った調度、そして大きなベッド。

何よりも良いのはテレビも無ければBGMも流れていないこと。
聞こえるのは風鈴の音、風の音、鳥のさえずり、虫の声だ。

のんびりと心行くまで読書を楽しめたのは良かった。
スマホに音楽を落としてきてはいたのだが、音楽が邪魔に感じて全く聴く気にならなかった。

余談だがこの時に読んでいた本は、主人公がテレビもインターネット環境もない山の奥の一軒家で暮らしている話であり、自分の置かれている環境と物語が妙にシンクロしたのだった。

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宿に酒はないが、街中で買ってきたビールを飲んでいると冷やしたジョッキを貸してくれた。

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こちらはココナッツで作ったスリランカウイスキーのアラック。
これが悪くないのである。

小さなダンブッラの街に3泊は長いかなとも思ったのだが、シギリヤに行くにも象を見に行くにも便利なロケーションで、調度良い日数だった。

10月に日本に来ると言うオーナーと蒲田で飲む約束をして、LINEを交換した。

参ったな。
彼と会ったらまたスリランカに行きたくなるに決まっているじゃないか。

地獄のフライト

午前1:20発のタイ航空機でまずはバンコクへ。

バンコクスワンナプーム国際空港での乗り継ぎ時間は1時間半しかないのだが、乗り換えのピークなのかトランジットカウンターは大混雑で長蛇の列。
私がゲートに到着した時には、既に優先搭乗が開始されたいた。

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待ち受けるは世界初の総二階建て超大型機のエアバス380。
勿論乗るのは初めてで、それなりに楽しみにしていたのだが、これが私のこれまでの人生で、最悪な地獄のフライトと化した。

それは機内食を食べ終えた直後に始まった。
最初に感じたのは右脇腹の痛みだった。
あれ?腹でも壊したのかな?と訝しく思ったのも束の間、その痛みは背中に突き抜けるような猛烈な痛みへと急速に発展した。

私はこの痛みに覚えがある。
今を遡ること30年前、学生時代に発症した尿路結石だ。

カードで5ドル払って機内wifiに繋ぎ症状を照らし合わせる。
間違いなく尿路結石のようだ。

タイ人の可愛いキャビンアテンダントに鎮痛薬を貰うも焼石に水である。

脂汗は止まらず、あまりの痛みに吐き気まで起こり、とても席に座っていられない。
私は機内を怪しく徘徊し、時にトイレに閉じ籠り、度々ギャレーに行って水を貰った。
水分を摂りまくって結石を膀胱まで流さねば、この痛みからは解放されないのだ。

可愛いタイ人のキャビンアテンダントが日本人アテンダントとチーフパーサーを呼んでくれた。

機内で医者を探すか?
成田に救急車を待機させるか?

の問いはいずれもノー。
鎮痛薬の処方しか手立てはないし、石が動けば痛みは消える。

チーフパーサーは本日満席につき横になれるスペースを提供出来なくて申し訳ない、と言う。
いやいや、立ってる方が楽だから気にしないでくれと返すも、上手く伝わってない気がする。

漸く痛みが治まったのは静岡県上空、着陸の少し前のことであった。

痛みとの格闘は3時間以上に及び、当然のことながら一睡も出来なかった。

私は、お陰で痛みが消えたとタイ人の可愛いキャビンアテンダントに礼を言いに行った。

羽田空港には全日空エアバス380が駐まっていた。

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なんとなくこの最新鋭機とは、良好な関係性を築けそうもないような気がする。

キャンディからコロンボ・・・スリランカ旅行記(8/17)

ゆっくりと朝食を摂った後にチェックアウト、エアコン付インターシティバスに乗り込んでいよいよコロンボへ。

キャンディからコロンボまでは100km強の距離だが、ところどころ道が混んでおり、2時間半以上を要した。

バスを下ろされた場所からホテルまではGoogleマップを見る限り1.5kmぐらい。
歩けない距離ではないが、荷物重いし、暑いし、声掛けてきたトゥクトゥクドライバーに地図を見せて値段を尋ねると、「800ルピー」と吹っ掛けてきた。
じゃあいいや、と相手にせずに歩き出すと、後ろから「sir!sir!」と悲痛な大声で呼び掛けてきたが、当然無視する。

そうだ、アプリで車呼んだ方が手っ取り早いやとスマホを弄っていると、別のドライバーがまた声を掛けてきた。
値段を尋ねると400ルピーとさっきの半額。
それでも相場の倍くらいだとは思うが、さっさとチェックインしたかったので了承して乗り込む。さっきのドライバーの半額だからね。

「明日1日チャーターしない?コロンボの名所を案内するよ」とドライバー。
「今夜日本に帰国するから無理」と私。

地図見せてストリートアドレスも伝えたにも関わらず、ドライバーは迷いまくって全然ホテルに着かない。
私がGoogleマップを見せて逆に道案内する程だ。

ホテルの前の道は一方通行、それを逆側からアプローチしたものだから、ホテルの200m程前で行き詰まった。
もういいやと500ルピー札で支払い。
私のせいではないけれど、散々走り回ったのでお釣りはチップにしようかと考えている時に、
「これじゃ全然足りない」と唐突にドライバーは言った。
「400ルピーと言っただろ?」と言うと、「4000だ!」とドライバー。
4000ルピーとは約2500円であり、噴飯もののボッタクリ具合だ。
「冗談じゃない」と荷物を持って降りようとすると、「せめてあと200ルピー払え」と大幅なディスカウントwww。
私は静かな声で「地獄に堕ちろ、クソッタレ」と告げ、無視して歩き始めた。
しかし恐らく彼も仏教徒、hellなんて概念は持ち合わせていないかもしれない。

目指したホテルは雑居ビルの3階(日本的定義では4階)の独房のような部屋。
コロンボの全てが私の気を滅入らせるようだった。

私は今晩、午前1:20初の飛行機で帰国する。
シャワーとトイレを確保する為に押さえただけで、ここに泊まる訳ではない。
しかしそれでも気は滅入るのだ。

街の喧騒と雑踏と交通量も鬱陶しく、私は観光は早々に諦めた。

偶然目についたレストラン&パブに入り、ビールとカレーをオーダーすると、「今日は土曜日だからカレーは無い」と店員。
「え?何だって?」と問う私に、
「カレーは月曜日から金曜日までしかない」と重ねて店員。
これもまた私を滅入らせる為にコロンボの街が仕組んだ巧妙な罠なのだろうか?

仕方なくフィッシュヌードルとビールをオーダー。
これがスリランカ最後の食事だというのに、なんとも締まらない。

スリランカ旅行では、コロンボはパスするのが正解だと思う。
強く強くそう思う。

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キャンディ観光・・・スリランカ旅行記(8/16)

対応が事務的かつ情緒の欠片もないキャンディのそのホテルは、普通に考えたらむしろ良いレベルなのだが、アヌラーダプラの面白ホテル、ダンブッラのホスピリティ満点ホテルの後に泊まると、妙に味気ない。 

もしかしたら、それは前日のペラヘラ祭が関係しているのかもしれない。

英国式朝食(紅茶ではなく珈琲を頼んだので完璧とは言い難いが)を済ませたら、さぁ、キャンディの観光へと出掛けよう。

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仏歯寺を見ずしてスリランカは語れないのだそうだ。
果たして本当にそうなのだろうか?

この仏歯寺、その名の通り仏陀の歯が祀られており、1日に三度だけその歯が祀られた本堂の扉が開く「プージャ」と呼ばれる祈りの時間があるという。

当然その時間帯に合わせて行ったのだが、お詣りに来た多数のスリランカ人に揉みくちゃにされて進めない。
すると一人の細身長身スリランカおじさんがやって来て、着いてこいと言う。
素直に従うと、仏歯を祀った祠に並ぶ列から外れ、その祠の真っ正面に連れていかれた。
「ここからなら写真撮っても大丈夫だから!」と言うなり、自分はお祈りの列に戻っていった。
なんていい人なんだろう。いや、彼だけではない。至る町の至るところで、人々は気さくに話しかけてくれ、そして困っていると助けてくれる。

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遠いし、スマホのカメラのズームレンズ機能ではこれが限界。
タイ、ミャンマーラオスなどで多くの仏教寺院を見てきたが、こんなに多くの人が、こんなにも熱心に拝んでいる姿を見るのは初めてである。

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程なく扉は閉められた。

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本当はこんな形をしているそうだ。

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どうやら入るときに入口を間違えたようで、こんなに長い参道のようなものがあった。
ゲートではかなり厳重なボディチェックが行われていたけど、裏口から入った私は何らチェックを受けていないのであった。

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象さんからだを洗ってもらってます。
鼻がパタパタ動いていて、いかにも気持ち良さそうだ。

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その後ランチ休憩を挟んでブラブラ丘の上の大仏へ。
割りと新しいようで、古びた感じは皆無。

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拝啓、大仏の下より。

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トップ・オブ・ザ・大仏。

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大仏からの眺め。
キャンディの街が一望出来る。
こうしてみると、とても小さな街であることが分かる。

ペラヘラ祭のお陰で全く身動きが取れなかったけど、本来なら街中の観光は昨日半日で終わらせて、今日は郊外に脚を伸ばしたかったというのが本音だ。

いよいよ明日は最終日。

ペラヘラ祭・・・スリランカ旅行記(8/15)

三泊お世話になったダンブッラの宿をチェックアウト。 

心に残る宿だった。
オーナーとはLINEを交換し、10月に東京での再会を約束した。

スタッフに車でバス停まで送ってもらい、ローカルバスでキャンディへ移動。

ちなみにスリランカのローカルバスは、世界でも有数の恐ろしい乗り物だ。
無茶苦茶飛ばす、無理な追い越しをガンガンする、私はうっかりと最前列の席に座ってしまったので、恐ろしくて読書どころではない。

そしてキャンディはスリランカ最大のペラヘラ祭最終日で大規模な交通規制が敷かれており、町の手前から大渋滞となった。
この渋滞具合では、バスステーションまでどれだけかかるのか分かったものではない。
私は適当な所でバスを降りた。

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と、いきなり象が現れた。 
勿論野生ではない。

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パレードが通る道はバリケードで封鎖されている。
そしてパレードを横切る事は御法度らしく、ホテルは直ぐ近くなのに大きく迂回を余儀なくされた。

しかし物凄い人である。
人大杉である。

古都キャンディで行われるスリランカ最大の祭だということで、言わば祇園祭のようなものかもしれない。
観光客よりも、圧倒的に地元の人が多い。

しかし私は、騒がしい祭よりも、静かな環境が望ましいのだ。

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これがブッダの歯を載せた御輿だと思われる。
揉みくちゃにされて写真撮影すらままならない。

しかも恐らくは4月のテロの影響だろうが、街の至る所にチェックポイントが設けられており、荷物チェック、ボディチェック、頭髪の中に指まで突っ込まれ(俺はカツラじゃねえ!)、最早不愉快でしかない。

Googleマップで酒屋を探してビールを買いに行く。すると、祭期間中閉店の貼り紙があって閉まっていた。
パブでも酒は飲めなかった。

しかし幸か不幸か私は昨日飲みきれなかったビールを一缶だけ所持しており、更にアラックというココナツで作ったスリランカウイスキーを一瓶持ち歩いているのだ。 
なんとかなる。

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その後キャンディ地方の舞踏、キャンディアン・ダンスを見に行った。

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アクロバティックな踊りあり、ベイスターズ監督によく似た打楽器奏者あり、期待以上に面白かった。

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しかし、性別美醜を問わず、全てのダンサーと打楽器奏者の腹は、程度の差こそあれ、皆突き出ていた。
三食カレー(か、麺類か、チャーハンか、パンに類するもの)の国、タンパク質を殆ど摂取せず炭水化物ばかりの食生活は、やはり肥るのだと確信。
糖質制限はダイエット方法として理にかなっているのだろうことが身を持って実感できた。

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最後はメンズダンサー数名が外に出て、火渡りの儀式で終了。

街に戻るとうまい具合にペラヘラ祭も終了していたようだ。
すれ違ったスリランカ人に「昨夜の祭見た?え?見てないの?ダメだよ、昨日が一番盛り上がる日なのに!」と言われ、昨日キャンディに居なかったことをブッダに感謝した。(ところでどこの街でもやたらと話し掛けられる。スリランカ人はフレンドリーだ。)

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ローカル・レストランでカレーを食べてようやく人心地、メンヘラ寸前に追い込まれた恐怖のペラヘラ体験は、こうして終わった。

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丘の上の大仏が、ライトアップされていた。
静けさを取り戻したキャンディの街は、かなり居心地が良くなった。

象を見に行く・・・スリランカ旅行記(8/14)

巨大遺跡と大自然

もしかしたらこれらが私が旅に求める二大要素かもしれない。

ダンブッラ近郊には他にも日帰りで行ける遺跡の類いはあるのだが、私は自然を選び、剛毅にも一人でジープをチャーターし、カンダッラ国立公園へ象を見に行くことにした。

ここのところ、他国含めて遺跡の類いは、ことにアジアの遺跡は纏めて見ており、バランス的に自然を選びたくなったのである。

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国立公園の道無き道を、ジープは走る。
布製の屋根を開け、私は立ち上がって車の上に顔を出す。
頭の中では長渕剛のJEEPのサビの部分だけがエンドレスで流れる。何故かと言えば、サビしか知らないからだ。

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ジャングルを抜けると突如サバンナが現れた。脳内再生楽曲は、ゴダイゴのリターン・トゥ・アフリカに変わった。
ここはアフリカではなくアジアのスリランカだが、そんなことはどうでもいいのだ。

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いた!

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いたーー!!

足に鎖もついていない、背中に人も乗せていない、檻の中にも入っていない、正真正銘野生の象だ。

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人々は遠巻きに眺めるのみ。

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これはまた別の群れ。

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近付いてキタ━(゚∀゚)━!

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牙のある一際大きな個体はオス。
オスは単独行動を取るのが基本で、群れを作るのは基本的にメスと小象であり、結構珍しい光景だとドライバーは言う。
そもそもの割合で、オスは生息数全体の5%程度なのだそうだ。
ハーレムじゃないか。

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牙の短い個体は男の子なのだろう。

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赤ちゃん、キタ━(゚∀゚)━!!!!

何かしらの感動やら感想を持つこと自体が不遜なことのように思えた。

私は見た。
私は体験した。
私は経験した。
私もそこにいた。

それで充分じゃないか。
そして動物園こそが悪なのではないだろうか。

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帰り道、鷲がいた。
ドライバーが「eagle!」と教えてくれたのだ。

それが本当に鷲なのかどうか、私には分からなかった。
何故なら私は野生の鷲を見たことがないからだ。

でも、名前なんてどうでもいいじゃないか。

象は自分たちのことを象だとは思っていないし、鷲も自らを鷲だとは思っていないのだから。

そんなワシは人間だゾウ。